The Diary of Ka2104-2

第1回マルクス「資本論」ー 石川勝敏 

原著:Karl Marx(カール・マルクス)によるDas Kapital(資本論)

採用テキスト:NHKテキスト2021年12月号「カール・マルクス/資本論」斎藤幸平著

「」書きはテキストからの引用です。

「巷には、魅力的な『商品』があふれ、お金を出せば何でも手に入るようになったことで、私たちの暮らしは豊かになったかのようにも見えます。しかし、まさに『商品』化によって社会の『富』が貧しくなっていることを、マルクスは一貫して問題視したのです」こう筆者は命題として疑義を投げかけます。

マルクスがライン新聞で編集長に就任してからというもの、彼は木材盗伐についての記事を何度も書きます。ドイツの貧しい人が生活資材として近くの森で生活するのに不可欠な『富』である枯れ枝を集めて生活していたところ、当局によりそれが窃盗に当たるとされ、現場で警官に襲われるという事件が起きたのですが、ここに見られるように、地面に落ちた枝さえも地主は私有財産として『囲い込む』わ、薪木が欲しかったら『商品』として金を出して買えと迫るわで、社会の『富』がかつてとは違い、資本主義の下、枝木まで売り物になる『商品』価値を見出されるように社会は悪変容してしまうと、筆者は言います。『富』の概念が、『資本』によって独占された当時とそれ以前とは違っているのだと。水という資源も又、かつては『コモン(誰もがアクセスできる皆の共有財産)』だったが、生活に必要なものとして人々の手に入れられなかったら(囲い込み)、『商品』になるだろうという趣意のもと、水という「『コモン』を解体して独占し、あるいは森を破壊までして、買わなければいけない物、つまり『商品』」にする傾向に容易にかたぶきます。「とはいえ、人々を閉め出して森を独占したとしても、そこに生えている木を伐採し、製材しなければ『商品』になりません。『商品』にするためには『労働』が必要です」ここで好都合が生じます。あたかも「この『労働』を担ってくれるよう、森から締め出され、薪を買うためにお金を必要としている人々」を、『資本』による『囲い込み』は産んでいたのです。この『労働』する人々、資本主義社会の労働者は、奴隷ではありません。彼らは自分の労働力を『自由』に売る人々なのです。

「資本主義のもとでは、あらゆる『富』がー水や森、公園や図書館といった共有財産さえもー『商品』化されて、お金がないと『商品』が買えなくなります。そしてお金を得るために『商品』を売るべく市場で奔走しなければなりません。その結果、モノが逆に人間を振り回すようになってしまうのです。『商品』の『使用価値』ではなく、『価値』こそが生産の目的となり、必要かどうかではなく、売れそうかどうかでモノを作るようになってしまうのです」「マルクスは『資本』を絶えず『価値』を増やしながら自己増殖していく運動と定義しています」

労働者はブルーもホワイトもあらゆる職種に従事する人々を指します。労働者が日給1万円で働くのをケースワークにしましょう。「資本家は労働者に1日働いてもらって1万円を渡します。その日1日の労働で生み出された『商品』の『価値』が1万6000円になったとしたら、労働者の日給を差し引いた6000円が資本家の儲けとなります」この6000円をマルクスは『剰余価値』と呼び、この『剰余価値』によって資本は増殖すると筆者は言います。「ここで重要なのは、労働者が、自分の労働力を売った対価として受け取る賃金よりも大きな『価値』を、自らの『労働』によって生み出している、という事実です」筆者はいわゆる資本家の利益も元々労働者に属するとしています。

資本家は1万円(お金)で1日分の労働力という『商品』を買って、物を作り、それを売ることで1万6000円を手にしていましたが、この資本家の暫定の資本の内、「1万円で翌日も働いてもらい、また1万6000円を手にすれば、最初に1万円だったお金は、2日分の『剰余価値』1万2000円がプラスされて、2万2000円になります。そうすると、今度は二人の労働者を雇うこともできるでしょう。そうすれば、1日に生み出される『剰余価値』も二倍になります。この『価値』が『価値』を生むという運動を、果てしなく繰り返すことで、『資本』はどんどん増殖していくのです。

先程から例に挙げている1日1万円手にする労働者の『労働時間』が5時間だとすれば、この労働者は1時間の労働で2000円の『価値』を生み出していることになります。そして資本家の『資本』を1万円と置いていますので、資本家の儲けはゼロということになります。けれどどうでしょう。8時間働いてもらえば、1万6000円の『価値』が生まれ、6000円の『剰余価値』を手にできます。では、もしもっと『価値』を増やしたかったら?1日の労働時間を増やすことですよね。たとえば、賃金を固定したまま10時間働かせると、『剰余価値』は2時間分4000円上乗せされ、12時間働かせれば、『剰余価値』を8000円も増やせます。資本家にとっては、同条件のまま「同じコストで儲けを8000円も増やせるということです。労働時間を延ばすことで資本家が労せず手にした追加の『剰余価値』を、マルクスは『絶対的剰余価値』と呼び、労働時間の延長が『絶対的剰余価値』を生産していると指摘しています」こうして長時間労働やサービス残業は蔓延していくのですが、「労働力は、人間が持っている能力で、本来は『富』の一つである」と考えるとき、この労働力という『富』を『商品』に閉じ込めてしまうのが資本主義であると筆者は言います。

そして、「『商品』生産の担い手は、自らの労働力を提供するだけでなく、『商品』の買い手となって、資本家に市場を提供」しているのです。

新自由主義なる資本主義の自公政権のもとでは、ブラック企業、ブラック福祉施設は後を絶ちません。


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