原著:Karl Marx(カール・マルクス)によるDas Kapital(資本論)
採用テキスト:NHKテキスト2021年12月号「カール・マルクス/資本論」斎藤幸平著
「」書きはテキストからの引用です。
前回、「『商品』生産の担い手は、自らの労働力を提供するだけでなく、『商品』の買い手となって、資本家に市場を提供している」と結びました。そして、賃労働をしなければ生きていけない人が増える一方で、市場経済が回り始めると資本家や地主はどんどん潤い、資本主義は発展してきたのです。「マルクスは、この暴力的な過程を本源的蓄積と呼び、『コモン』を解体して人々を賃金労働に駆り立てる資本主義に固有の収奪行為だと指摘しました」『コモン』とは、かつては誰もがアクセスできていた『富』なる皆の共有財産を指します。
ここでマルクスの唱える『物質代謝論』を述べてみましょう。「人間は、他の生き物と同様に、絶えず自然に働きかけ、様々な物を生み出しながら、この地球上で生を営んできました。家、洋服、食べ物などを得るために、人間は積極的に自然に働きかけ、自然を変容し、自らの欲求を満たしていきます。こうした自然と人間との循環的な過程を」マルクスは『物質代謝』と呼んだのです。「けれども、人間と他の生き物との間には、決定的な違いがあり」とマルクスは続けます。「それは、人間だけが、明確な目的を持った、意識的な『労働』を介して自然との『物質代謝』を行っている」という点です。この自然への働きかけ、『労働』を行なう際、「人間と自然との物質代謝は循環的ゆえ、一方通行で終わるものではなく、自然に還らないゴミを大量に出し続ければ、たとえばマイクロ・プラスチックを食べた魚が私たちの食卓に戻りますし、核のゴミもしかりですし、化石燃料の大量消費による二酸化炭素排出も、深刻な気候変動を引き起こしていて」、このように、「私たちの暮らしや社会は、私たちが自然に対してどのような働きかけ」、あるいは『労働』を介したかで「決定されるが」、「これがマルクスの、資本主義社会を分析する際の基本的視座になっています」
ここでのポイントは、「『富』が『商品』になって資本主義が発達する際には、人間と自然の物質代謝が従来とは全く異なる形として展開されるようになっていく」ということから、「人々が自然という『富』から切り離されて貧しくなるということです」
資本主義社会と、資本主義以外の社会の違いは一体何なのだろう?「資本主義以前の『労働』が、基本的に人間の欲求を満たす為の『労働』だったのに対し、資本主義社会では、物を作る目的、すなわち『労働』の目的が他の社会とは大きく異なる」のです。どういうことかと云うと、「資本主義社会では『資本』を増やすこと自体が目的になっており」、たとえば「アマゾンのCEOジェフ・ベゾスは、世界一の大富豪ですが、資産が2000億ドルを超えても引退する気は全然なさそうですし」、かといってかつてのピラミッドのように、現代のピラミッドを建造したい「というような明確なゴールがあるわけでもなさそうです。書籍販売で成功したら次はパソコン、食品、日用品と、ただひたすら際限なく手を広げていっているでしょう?」「このように生産活動の主要目的が、人間の欲求を満たすことから資本を増やすことに変われば、当然、生産される物も変わります」「資本主義で生産される『商品』は、人々の生活に本当に必要な物、重要な物かどうかよりも、それがいくらで、どれくらい売れそうかー言い換えると、どれくらい資本を増やすことに貢献してくれるかーが重視されます」そして、「『商品』の持つ『価値』でなく『使用価値』こそ、資本主義以前の社会での生産の」、『労働力』の、「目的でした」『価値』に関して、マルクスの労働価値説では、この『価値』というのは、『商品』を生産するのにどれくらいの労働時間が必要であったかによって決まる、とされています。「『使用価値』が、何らかの形で実感できるのに対し、『価値』は人間の五感では捉えることができない、まぼろしのような性質で」、かくして、「『使用価値』」の為に物を作っていた時代は、文字通り、人間が"物を使っていた"わけですが、『価値』の為にモノを作る資本主義のもとでは立場が逆転し、人間がモノに振り回され、支配されるようになる、マルクスの言うところ『物象化』を呼びさまし、人間が『労働』して作った物が、『商品』となるや否や、人間にはコントロールしきれない不思議な力で、人間の暮らしや行動はコントロールされるに至るのです」