ちなみに参加したツアーはこちらです。
「下田の龍馬と幕末ゆかりの地をめぐるツアー」
【コース】
・宝福寺住職特別講話&お吉記念館見学(謁見の間)
・下田の龍馬とまち歩き
宝福寺⇒なまこ壁の家⇒大川端⇒干物横町(石亀水産)⇒ペリーロード⇒大横町⇒平井製菓⇒福正
こんな感じですが、案内役の下田の龍馬さんはなんと!?
あの吉田松陰の玄孫だそうです!?
ビックリですよね。
吉田松陰の玄孫が坂本龍馬に扮して下田を案内するなんて・・・イキですよね
吉田松陰と下田といえば、師匠の佐久間象山の影響で海外に興味を持ち、金子重之輔とつるんで、漁師の舟を拝借してペリーの黒船に乗り込もうとして捕まり投獄されてしまい、死罪になるところを松平忠固や阿部正弘の助けがあって釈放され、その後、長州に戻り松下村塾を開いたというのが有名ですが・・・、このツアーで聞いた話は少しだけ違っていました。
金子重之輔と一緒に黒船に乗り込みますが、乗って来た舟を固定していなかったため、陸の方へ流されてしまいました。
松陰らはペリーに「このままだと乗ってきた舟が幕府に見つかり、舟に置いてきた渡航用の道具一式から密航がバレて捕まってしまいます!もう戻れないから一緒にサンフランシスコに連れて行ってほしい!」と直談判します。
ペリーは松陰らの真っ直ぐな思いに考慮しますが、日米下田条約を結んだばかりのペリーには、松陰らを連れて行くわけにはいきませんでした。
条約の中には、幕府の許しがなくては渡航ができない条文があるからです。
ペリーは松陰らに「君たちを連れて行きたいが、今は無理だ。まず乗って来た舟を探しなさい。そして幕府の許可を得なさい。許可が得られれば一緒に行こう。まだ当分はここに停泊しているから今回は戻りなさい」と伝えます。
結局、乗って来た舟は先に幕府に見つかり捕まってしまいます。
死罪になるところでしたが、幕府の元にペリーから1通の手紙が届きます。
そこには「こんな若者がいれば日本は安泰です。」と書かれていたそうです。
松陰らは死罪を免除され、渡航の許しを得、ペリーのもとへ向かいましたが、既にペリーは出航したあとだったそうです。
どちらが真実かわかりませんが、昔の若者の情熱は輝かしいほど想いが迸っていますね(笑)
そんな松陰の玄孫さんと下田の街並みを散策しました(笑)
下田でよく見かける家です。
もうひとつ下田の名物のなまこ壁です。
漆喰が海のなまこに似ているところから名付けられたそうです。
当時漆喰は高価で、漆喰の盛り方でその家の裕福さがわかったそうです(笑)
下に転がっているのは、伊豆石です。
お城を築く際に使用していたそうです。
今でも土台として使用している家が沢山ありました。
そして、上のふたつ以外に、よく見かけるのがこちら。
トタンの建物です。
渋いっすね~(^_^;)
さらに建物の中はこんな感じです。
こんなのもあちこちに、ありますよ~。
街中に昔の下田の街並みの写真がありました。
天然の冷蔵庫ですよ。
今でも使っているのかな?
お店の方からも、色々説明を受けましたよ(笑)
下田の方々は、何処でも気さくで明るいです(笑)
このお店は昔、酒屋だったそうです。
店内はこんな感じです(笑)
逆さまですが、昔はツケで飲んだり買ったりするのが日常だったようですね(笑)
昔の教科書ですよ。
こんなのお宝なのでは!?
無造作に置いてありますが(^_^;)
ここからペリーロードに入ります。
天気は曇ってきましたね。
龍馬さんの解説で、街並みが歴史に色づいて感慨深くなります(笑)
この河には昔、舟が行き来していたそうです。
渋い~(笑)
伊豆石が沢山使われていますね。
ペリーロードの灯りはガス灯です。
暗くなると、味わい深い温かさと明るさを醸し出すのかな。
手前の家の入り口のようなものは、舟が横付けして荷下しができるようにするためのものだそうです。
ペリーロードは昔、遊郭があったそうです。
格子の窓などは、遊郭の名残りでしょうか。
土佐屋です。
現在はソウルバーになっています(笑)
土佐屋は1854年、松陰が黒船に乗り込む数日前に立ち寄り、土佐屋の主人に「この日記を、兄に渡してほしい!」とお願いしますが、行き違いで日記を渡せなかったエピソードがあります。
やはりガイドがいると楽しいです(笑)
しかし前日の酒が残っているのか、メンバー無表情です。
ガイドの龍馬さん、うちらのノリが悪くて申し訳ないです~(^_^;)
ペリーロードの突き当たりにあるのが、この了仙寺です。
ここで日米下田条約が締結されました。
それから数年後に、近所の長楽寺で、ロシアと日露和親条約を締結します。
その時、了仙寺は洪水にあい、使用出来なかったそうです。
ここで外国船に対して欠乏品の名目で実質上の貿易が行われました。
同じ場所です。
闇市と同じかな?
幕府がいくら取締っても、営業するので売り上げに税を付けたそうです。
この絵でも判りますが、外国人と日本人が一緒に戯れています。
下田は函館や横浜と違い、外国人が下田の街中を自由に歩ける権利を与えていたそうです。
ここでツアーは終了です。
ツアーには平井製菓の名前もありましたが、今回は行かなかったですね。
ここは、あんぱんが有名なんですよね(笑)
後で購入しましたよ(笑)
実はこのツアーに伊豆新聞社の記者の方が同行していました。
写真も撮ってもらいましたよ~(笑)
未だに記事になっていないので、ボツになったかな(^_^;)
さらに、この日は第8回龍馬飛翔祭が開催されていて、非常に賑やかでした。
特別ゲストに勝海舟の玄孫さんかを来ていたそうです。
下田は歴史の街ですね~(笑)
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