SurfinSkiの冒険

サーフィン/スキー考ー1

本ブログを書く上ではやはりサーフィンとスキーに関する自分の所見を述べておくのが順序なのかもしれない・・・・・・・

確かにユーミンのサーフ&スノーという一斉風靡した文化が自分のリソースに相当な影響を与えていることは否定できない。
自分が大学に入学した
1974 年にはサーフィンなんてやる気も経験も皆無。スキーだけに集中しこれ以上のスポーツは無いなんて思っていた。志賀高原の雪山という大自然と向き合いその優しさに癒され、その厳しさにたたかれ、その偉大な力に挑んでいた。

大学4年間は毎年100日前後スキーをしていた。志賀高原一の瀬の下から見て左の回転バーンがホームゲレンデ(ピステ)、宿舎は老舗のホテル大六山荘だ。1978年卒業し会社に勤めだすと休日スキーということで車で金曜の夜発、万座温泉や苗場に25:00頃着、日曜の昼過ぎに帰路について20:00頃自宅着というパターンを繰り返した。1984 年万座スキー場での出会いから結婚、新婚旅行はスイスはサンモリッツスキー。1987年ちょうどホイチョイプロの「私をスキーに連れてって」がヒット、スキー場は若者で溢れていた。今は懐かしきバブルの時代である。

・・・・続く・・・・

子供が生まれてもスキーへの情熱は冷めづ、渋峠スキー場で生後数カ月の子供をおんぶして滑っていた。おかげで子供たちはスキーを覚えた。人生80年の前半、スキーというスポーツが自分の生活スタイルや生き方を定める大きな要素となった。

1994年40才、藤沢に転居して3年程経過したある日、片瀬山PINYで学生時代のスキークラブ友人(MK子)とばったり遭遇、さっそく食事会をして聴けば彼女のご主人が39才でサーフィンを始めたという。アルコールパワーで誘われて7日後には中古のロングボードがガレージに届いて8日目には早朝6時に鵠沼海岸で初めてのサーフィンにトライしていた。海は深いし波はあるし40才のおじさんが若者のスポーツ、サーフィンなんてできるのだろうか?そんな40才の6月ある日、M君が数本解説付きの手本を見せてくれた後、腰サイズの波に合わせてテイクオフした。テールを手押ししてもらうことでボードはうねりから滑り出した。後ろから「立て」の声に立ち上がるとスピードにのったボードは以外にも安定して水族館までのロングドライブ・・・・その気分は感動以外の何物でもなく一瞬にしてとりこになった。

それから週末サーフィンを続けて18年が経過、スキーは止めて冬の週末もスキーじゃなくてサーフィンをした。2013年60まであと2年、そろそろスキーを復活させてこれから70才まではサーフィンとスキーを両方のんびり楽しむ期間としたいと考えている。スローでメロウなライフステージを楽しみたいなあと思う・・・・のだが日本国の事情で年金の減額や支給年齢延長、会社の定年延長などどうも仕事をさせられそうな気配濃厚だ。諦めることなく冷静に健康と筋力を維持し来るべきその日々にそなえることが重要である・・・・・・・・・・本ブログはそんなオジサンの計画と実現までの経過を都度ライブでつづる徒然メモリーである。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「生涯スポーツ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事