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SF Nomad

せつなさよりも遠くへ



■2022/01/26今日のトピック
・今お買い物マラソンがやっている(雑音)
・モノローグ、でもそれはいつものような気がする

あまりに運動をしないので、
足元だけでサイクリングできるマシンを購入しようか悩んでいる。
絶対飽きるのは目に見えているのだが、
外出するのが土日しかない上にこの感染者数急増の状況だといろいろ躊躇われる。
少しでも運動する機会を。
今ネット上の買い物BOXに入れてレジまで行ったのだが決定する直前で一旦踏みとどまった。
買ったら買ったで物が増えると処分するときに面倒くさい。
しかしこのひとは本当に強制されないと何もしない。
どういう判断を下すのか。
内心ずっと欲しいなあと思っていたからなんとなく見える未来だが、
その先の未来も見えてせつない。
たまには自分に抗いなさいよ。

最近は家族と仕事のひととしかやりとりをしないため、
なんとはない会話を一切していないに等しい。
なんとはないことをだらだらしゃべりたい。
実のある話しだったら話しても良いと言ってくれるひとがいるかも知れない。
しかし僕が望むのは結論を求めない内容であるため、
そんなことにつき合ってくれる友達もそうそういない。
みんな生きるのに必死である。
僕も必死だけど本当に見るべき部分は見ないふりをしている気がする。
楽な方に目を向けて自分を制するのだ。
たまには戦ってみても良さそうなものだがな。
いろいろ知ってしまうと行動に起こすことすら後味の悪さを想定してしまう。
これで賢ければ軌道修正のひとつでも思い浮かぶのかも知れないが、
僕はその可能性すら浪人時代に諦めてしまったのである。
自分の取捨選択がじわじわ効いてくるのは結構時が経ってからなのかもな。
一方で今から人は変わることもできなくもないそうだ。
その代わりに僕が持ち合わせない我慢と努力と前向きな気持ちが不可欠となる。
人は変わることができるのか。
それを模索するために僕の中の常識を壊すことになるのだろうか。
小さいころから毎晩夢みたいな妄想を考えないと眠りにつくことができない僕が、
時間をかけて無意識のうちに構築したなにがしかの自分像に抗うのはあまりにも険しい。
でも人を変えるよりもよっぽど自分を変える方が容易いと考えるならば、
やってみる意味はあるのかも知れない。
結局自己対話みたいになってしまってもう何がなんだかわからない。
しかしどんなに無意義な内容だったとしてもひとつ毎日更新だけは達成したという意味を持った時点で、
己の文章能力と完璧主義の欠片もないなと実感するのである。
よく書き直さないな。

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