最近の記事で書いていますように、『ゆるむこと』は非常に大切です。
人生において、全ての基本だと思っています。
人それぞれにおいて、様々な価値観があります。
それはそれで、とても素晴らしいことだと考えています。
その価値観に、強い信念を持っていれば、なおさら良いと考えています。
しかし、これがまた、厄介で難しい所でもあります。
つまり、この『信念』によって、自分自身が倒されてしまうからです。
『信念』を強く持てば持つほど。
『信念』に執着すればするほど。
それにしがみつき、身動きが取れなくなってしまう。
結局、自滅してしまうことになるのです。
だからと言って、『信念』を持たないほうがいいわけではないです。
流されるままに生きる。
何か偉大なものに依存して生きる。
それでもいいと思っています。
だけれども、果てしない旅路の中で、いつかきっとこう思うでしょう。
「私は、いったい何の為に生きているのか」
「私の存在価値は、何なの」
だから、私は、こう思うのです。
『信念』は絶対に必要です。
なぜなら、それは、その人自身が生きる根本とも言えるからです。
言い換えれば、自分自身の根本ですから、それを無くして生きていけません。
だからこそ、『ゆるむ』のです。
自分自身の『信念』を持ったまま、『ゆるむ』のです。
『信念』を持つという事は、『力を入れる』ということでもあります。
だから、とても矛盾したことを言っていると思います。
だけれども、相反または矛盾した事を同時に成すことは可能と思います。
私は、そう信じて生きています。
それを実現する為に、「身体の力を抜いて、ゆるむこと」をやるのです。
意識設定をちゃんとしてやることが大切と書きました。
そして、例として、下記のような意識設定をすることも書きました。
「自分自身の中のいらないものを全て捨て去る」
しかし、この意識設定をして、立っていられる人は、まずいないでしょう。
まず間違いなく、崩れ去り、倒れこんでしまいます。
でも、次のような意識設定をすれば、ゆるんでも立っていられると思います。
自分自身が持っている『信念』を意識設定してやってみます。
『信念』でなくてもいいです。
生きがい、
人生の喜びとなる事、
または、人でもいいと思います。
憧れの人でも、好きな人でも、尊敬する人でもいいです。
つまり、考えでも、人でも、物でも、それらを思い浮かべたり、
意識設定したりして、生きる力が湧いてくることでもいいです。
場合によっては、ネガティブなことでもいいです。
人の不幸を願ったり、自分よりも不幸な人がいたりすることで、
生きる力が湧いてくる人もいると思います。
何れにしても、そのような意識設定をしてやってみて下さい。
するとですね。
ゆるんでも、倒れないんですね。
立っていられるんですね。
その人自身が持っている『信念』に合致していると、大丈夫なんです。
それを根本として、今までの人生を生きてきたわけですから。
つまり、世間がどうだろうと、他人がどうだろうとですね。
その人自身にとっては、それが人生の基本、根本だったのです。
たとえ、間違っていようが、それによって、不幸になっていようがです。
それでですね。
問題となるのが、その『信念』の内容なのです。
今、幸せいっぱいの人であれば、ある意味、問題ないと思います。
でも、不幸を感じていたり、生きずらかったりしていれば、問題です。
その歪んだまたは間違った『信念』があったから、不自由していたのです。
だから、その『信念』を書き換えていく必要があります。
でも、焦りは禁物です。
生まれてから、いや、生まれる前からずっと、その『信念』で生きてきたわけです。
だから、そう簡単にはいきません。
真っ向から勝負したりすると、自己否定に繋がりますし、無理です。
間違いなく、その『信念』によって、倒されます。
だから、ゆっくりゆっくりやっていけばいいと思っています。
一ミリでも、ごくわずかでも、書き換えれば、全然変わってきます。
何れにしても、『力を抜いて、ゆるむこと』は、非常に大切です。
それを通して、自分自身を不自由にしていたものに気づいていくのです。
自分自身の歪んだ、間違った考えを改めていくのです。
私自身も、つい先を急いでしまう所がありますが、急いではダメです。
急がば回れ
この精神で、寄り道しながらやっていくことも大切です。
今回は、以上です。
また、書いていきます。
2019年3月3日 よしのぶ
人生において、全ての基本だと思っています。
人それぞれにおいて、様々な価値観があります。
それはそれで、とても素晴らしいことだと考えています。
その価値観に、強い信念を持っていれば、なおさら良いと考えています。
しかし、これがまた、厄介で難しい所でもあります。
つまり、この『信念』によって、自分自身が倒されてしまうからです。
『信念』を強く持てば持つほど。
『信念』に執着すればするほど。
それにしがみつき、身動きが取れなくなってしまう。
結局、自滅してしまうことになるのです。
だからと言って、『信念』を持たないほうがいいわけではないです。
流されるままに生きる。
何か偉大なものに依存して生きる。
それでもいいと思っています。
だけれども、果てしない旅路の中で、いつかきっとこう思うでしょう。
「私は、いったい何の為に生きているのか」
「私の存在価値は、何なの」
だから、私は、こう思うのです。
『信念』は絶対に必要です。
なぜなら、それは、その人自身が生きる根本とも言えるからです。
言い換えれば、自分自身の根本ですから、それを無くして生きていけません。
だからこそ、『ゆるむ』のです。
自分自身の『信念』を持ったまま、『ゆるむ』のです。
『信念』を持つという事は、『力を入れる』ということでもあります。
だから、とても矛盾したことを言っていると思います。
だけれども、相反または矛盾した事を同時に成すことは可能と思います。
私は、そう信じて生きています。
それを実現する為に、「身体の力を抜いて、ゆるむこと」をやるのです。
意識設定をちゃんとしてやることが大切と書きました。
そして、例として、下記のような意識設定をすることも書きました。
「自分自身の中のいらないものを全て捨て去る」
しかし、この意識設定をして、立っていられる人は、まずいないでしょう。
まず間違いなく、崩れ去り、倒れこんでしまいます。
でも、次のような意識設定をすれば、ゆるんでも立っていられると思います。
自分自身が持っている『信念』を意識設定してやってみます。
『信念』でなくてもいいです。
生きがい、
人生の喜びとなる事、
または、人でもいいと思います。
憧れの人でも、好きな人でも、尊敬する人でもいいです。
つまり、考えでも、人でも、物でも、それらを思い浮かべたり、
意識設定したりして、生きる力が湧いてくることでもいいです。
場合によっては、ネガティブなことでもいいです。
人の不幸を願ったり、自分よりも不幸な人がいたりすることで、
生きる力が湧いてくる人もいると思います。
何れにしても、そのような意識設定をしてやってみて下さい。
するとですね。
ゆるんでも、倒れないんですね。
立っていられるんですね。
その人自身が持っている『信念』に合致していると、大丈夫なんです。
それを根本として、今までの人生を生きてきたわけですから。
つまり、世間がどうだろうと、他人がどうだろうとですね。
その人自身にとっては、それが人生の基本、根本だったのです。
たとえ、間違っていようが、それによって、不幸になっていようがです。
それでですね。
問題となるのが、その『信念』の内容なのです。
今、幸せいっぱいの人であれば、ある意味、問題ないと思います。
でも、不幸を感じていたり、生きずらかったりしていれば、問題です。
その歪んだまたは間違った『信念』があったから、不自由していたのです。
だから、その『信念』を書き換えていく必要があります。
でも、焦りは禁物です。
生まれてから、いや、生まれる前からずっと、その『信念』で生きてきたわけです。
だから、そう簡単にはいきません。
真っ向から勝負したりすると、自己否定に繋がりますし、無理です。
間違いなく、その『信念』によって、倒されます。
だから、ゆっくりゆっくりやっていけばいいと思っています。
一ミリでも、ごくわずかでも、書き換えれば、全然変わってきます。
何れにしても、『力を抜いて、ゆるむこと』は、非常に大切です。
それを通して、自分自身を不自由にしていたものに気づいていくのです。
自分自身の歪んだ、間違った考えを改めていくのです。
私自身も、つい先を急いでしまう所がありますが、急いではダメです。
急がば回れ
この精神で、寄り道しながらやっていくことも大切です。
今回は、以上です。
また、書いていきます。
2019年3月3日 よしのぶ