食レポで芸能人ならば、口にいれた先から「うまっ!」などと連呼するところを、たとえば、うちの両親ならさらりとこう言う。「これは食えるな」
両親世代にとっては、うまいかうまくないかは、食べれるか食べれないかと同義語(?)なのである。
それは、やるかやられるかにも似て、食べれるか食べれないかの問題が今よりずっと切実な時代を生き抜いてきたせいもあるのだろうか。
いかに「うまい」とか「おいしい」としか言わない食レポが凡庸に感じられようと、「食べれるね」なんて言われるよりは、はるかにマシかな。
読んでいた「失われた時を求めて」は、ついに最終14巻目に突入。最終巻は本文が短いようで、年内といわず余裕で読み終わらせられそう。いっぽう「源氏物語」は、まだ半ばくらい。
奇しくも時を同じくして、ふたりのダメ男の物語を読むこととなったが、ブルジョワにしろ貴族にしろ、恵まれ過ぎていたり、周りから褒めそやされてばかりいたら、そりゃあダメ人間にだってなろうというもの。
かたや、イケメンでも金持ちでもないけれど、ダメ人間の理想像といえばバカボンのパパかな。
毎日、子供と遊んでばかりいるイメージしかないが、それでいて、きれいな奥さんがいて、子供はバカボンだけど、天才児のハジメちゃんもいる。しかも永遠の41歳(?)
そんなことを言うと(悲しい)白い目でみられそうだが、案外隠れバカボンパパ支持者は多かったりして?
ながらく物置に放置してきたスキー板等を断捨離。その数、ショートスキーも含めて五本ほど。
スキーに行かなくなってから十年以上経っており、リサイクルショップに持ち込む値打ちもなしとあって、かって多くの出費と引き換えに多くの思い出を提供してくれたそれらも、今ではまさに立派な粗大ごみ。
料金が重量制の市のゴミ処理センターに持ち込み、スキーキャリア、釣りボート用のエレキ等その他もろもろとあわせて、処分費用は600円也。
長い間、物置のけっこうなスペースを占め、ちょっとした気がかりにもなっていたけど、済んでしまえばあっけないもの。
いき過ぎた断捨離は心を狭くすることもあるけど、心を軽くするこんな断捨離なら悪くはないな。
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