まるでパラレルワールドにでも迷い込んでしまったのかと思うような信じられない悲しいニュースが続くな。
危惧していた、気象情報がパニック映画の予告編化していないのは、まだよいとして。
ゲド戦記の原作を外伝まで読み終えた。
「ゲド戦記」というが、あまり戦っている感じはしない。(そもそも「ゲド戦記」というのは、あくまで邦題で、原題はアースシーなんちゃらという。)
ゲドが純粋に主人公なのは1冊目の「影との戦い」くらいで、次第にその役割は後退してくる。
4冊目の「最後の書」にいたっては、あれ?このひと大賢人でしたよね、というありさま。
「最後の書」と銘打ってしまったにもかかわらず、5冊目の「アースシーの風」が出なければ、読者はモヤモヤが残ったかもね。
人間臭さに寄り過ぎたせいか、思い返せば、黄泉の国から戻ってきたり、迷宮の闇のなかから平和の腕輪を持ち帰ったりと、けっこうな冒険をしてはいるはずなのに、どこか忘れがち。
きりっとした大賢人の表情のなかに、ほんのちらっとお茶目な一面を垣間見せてくれるくらいが萌えるんだろうに。
確かに、ジブリ映画の「ゲド戦記」は、登場する人物の名前こそ同じだが、別物だという事がわかる。(映画は映画で楽しめるけど。)
昔、ネバーエンディングストーリーの竜に乗っていじめっこを追いかけまわすシーンに、原作者のエンデが怒ったという話を聞いたことがあるけど、彼女の場合はどうだったろうか。
あなたたち、わたしの大切な物語を使って何をしたかったの?って。
平行して読んでいた「失われた時を求めて」は7巻目を読了。
それまで光文社の新訳を読んでいたが、先の巻がまだ刊行されていないようなので、この巻から岩波書店に乗り換えた。
解説によれば、お母さんからおやすみのキスがもらえないばっかりに悶々として眠れない男子の心情が延々と綴られるのを誰が読みたいかと、当初、出版を断られたらしいけど、確かに、いつまでこの話だよ?と思うことは茶飯事。延々と鐘塔の話とかね。
並みの名もなき凡人ならば数行で済ましてしまうところを数十ページは優に費やす。
注釈で、誰それが誰の親戚でとかの説明をいちいち読んだところで、結局のところイメージわかないしなあ。(なにしろゲルマント夫人は従兄弟が多いから・・・。)
とはいえ、なんとか「1Q84」の主人公青豆が読んでたよりは先に進めたみたいだ。
世界最長ともいわれるこの小説、まあ秋の夜長を気長にいくか。
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