性根を出して頑張ります。
さて遍路:善通寺を打ち終えて駅へ戻り77番道隆寺へ向かいました。
道隆寺は多度津駅から歩きます。
多度津に駅について出口を確認しながら駅建物を出ました。
ここ道隆寺までは1,2kmの距離にあります。
港町多度津の港にほど近い田園にある札所です。この寺は:土地の豪族、和気道隆が建てたものだという。縁起によると、道隆の桑畑に周囲5m近くもある桑の大木があり夜になると怪しい光がゆらめいていた。道隆がこの光に向けて矢を射ると、悲鳴があり乳母が倒れ死んでいた。悲しんだ道隆はその木で仏像を彫り、ひたすら供養すると不思議にも乳母は生き返ったという。その後、弘法大師がこの寺に留まり薬師如来を刻み道隆が彫った仏像を胎内に納めて本尊とした。
四国遍路88カ所47番八坂寺打ち終え194号線沿いに何気なく衛門三郎跡があった。
今回の旅の中で・私の旅行記に取り上げました。取り上げた理由:文殊院の拝観がきっかけとなりました。正式名は文殊院徳盛寺(愛媛県松山市恵原町):弘法大師と出会ったことによって改心した強欲非道の人、衛門三郎の屋敷があったと伝えられる場所。
みすぼらしい姿で托鉢に来た大師を衛門三郎は追い返す。それでも大師は諦めることもなく毎日門前に立つ。あまりのことに怒りを露わにした衛門三郎は竹ほうきで打ち付けた。すると、大師が持っていた鉢は八つに割れて飛び去り山中に落ちて池になった。
翌日、衛門三郎の屋敷では悲劇が起こる。長男が病から急死した。それから毎日一人ずつ子供が死んでいく。八日目には最後の子供も死んでしまった。大師は子供たちの死から一夜にして八つの塚を築いた。父親が大師への布施を拒んだだけでまったく罪のない子供たちが死んでしまう。なんとも醜い話です。大師は人の命をも奪ってしまうのか。子供たちは衛門三郎の悪業が現われたものではないだろうか。一人ずつの死は悪業が徐々に浄化されていく様を表現したとも考えられる。
衛門三郎の旅立ち
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