四国末廣庵

柴犬魂2001 合掌!
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親友の死

2012年12月15日 06時25分30秒 | Weblog









去る12月11日、かけがえのない大親友を喪った。脳幹破裂で搬送されるも手の施しようがない状態で一夜の内に他界してしまい、死に目にも立ち会えなかった。
彼の性格は、一言で言うと豪放磊落。そして、自分のことはさておき、他人への気遣いの行き届いた人間でもあった。もう、少し自分の身体にも気を遣っていれば、このようなことにはなっていなかったのではないか、、、病院嫌いの彼の首に縄を付けてでも人間ドッグを受けさせていれば、、、無念でならない。
彼は学校を卒業後、国内有数の古美術商の元で12年も研鑽を積んだ後、独立し持ち前の商才をいかんなく発揮し、国内外で活躍していた。面倒見の良い明るい人柄から、業界関係者はもとより、著名な文化人や芸能、プロスポーツ界にも多くの知己を得ていた。あまつさえ、才能のある芸能人やアスリートに物心両面から惜しみない援助をしていた。彼の葬儀には多くの参列者が途切れる事なく続き会館に入りきれないほどで500名を超える参列者が集っていたそうだ。そして、誰もが心からの哀悼の思いから集まっているのが見て取れた。こんな、葬儀に参列したのは始めてだった。
お棺には、八幡浜名産のミカンを入れた。太く短く駆け足で駆け抜けて行ってしまった彼。
あんなにも沢山の人に尽くし愛された彼だが、最後には沢山の人に愛別離苦の涙を流させることになってしまった。葬儀の日は、奇しくも彼の46歳の誕生日であった。
毎正月、盆には彼を中心に同級会が開催されていたのだが、今度の正月には彼の追悼会を開くことが決まった。彼の遺影を飾り、今や形見離さず持っている分骨を連れて行こう。

私の妻と彼はイトコ同士で、その縁から私達夫婦は結ばれた。彼は親友であり親戚でもあり月下氷人でもあったわけだ。それ故に、私達家族のことを本当に大事にしてくれた。子供達の成績が良いと方々で自慢していたとも聞いた。子供達が関西に進学してからは、京都に住んでいた彼はよく食事やライブに連れて行ってくれたりもしていた。
会者定離は世の常とはいえ、この喪失感に打ちのめされそうになる。
〈ついに逝く
道とは かねて 聞きしかど
昨日今日とは思はざりしを>在原業平

彼と出逢えたこと、彼の親友であったことを誇りに思う。そして、改めて命の儚さ大切さを教えてくれた彼に合掌、、、