兄が母に会うのは4ヶ月ぶりくらいかな。特養に移ってからは初めてでした。
私との仕事休みがなかなか合わず,やっと連れて行ってあげれました。
母と兄はずっと一緒に住んでいたけど,母の体が悪くなるにつれ,工場の仕事のない日も仕事帰りも仕事前も,母の面倒を見なくてはならないし、夜中に何度も起こされたりして、一昨年はもはや母のためにだけそこにいるような、そんな感じになっていて。
私も母のお世話は手伝える時にはやっていたけど、母がおむつになる頃には,兄が不憫でならなかったのね。
あの頃兄は、毎日あんまり寝れてなかったと思う。
たまのデイサービスの利用だけでは、兄自身は全然休めてなかったと思う。
それに、母は、障がいのある兄のことをぞんざいに扱うそぶりを見せてた。
何と言えば良いのか、まるで奴隷とか下僕なの?ってくらい、口が悪くてね。
おむつを変えても、体位をかえてもお礼もなければ文句ばかりで,思い通りにならなければ怒ったりして。
自分の体が不自由でイラつくのだろう、とはいえ、目に余るものがあったんだよね。でも、介護施設や銀行や保険や役所の事務的なことを全て担う私には、変に媚びたりしてて。
でも兄は、彼なりに努力して、母にほとんど文句を言ったり放置したりせずに,頑張っていたのを見てたから,もう兄を解放してあげたいと思ったの。別に母のお世話を何年も何十年もするために生まれてきたんじゃないって。
同時に,私も、今の自分の生活と子供達のことを優先しなければと強く思いました。
で、入院や老健を経て、特養入居となりました。この運びもなかなか大変ではあったし、葛藤もしたけど,兄と私もダメになりそうだったから。今ではこれで良かったと、ちゃんと思えるようになっています。
兄はいま、一人暮らしになって、寂しさもあるかもしれないけど,それでもやっぱり、あの介護生活には絶対戻りたくないと思うと思う。
特養で会った母は、兄に、家の中はちゃんと綺麗にしてるかとか,冬物を洗濯しろとか、早く床屋に行けとか,正月になったら甥姪(私の子供達)にちゃんとお年玉をやれとか,問題起こすなよ とか、、、やっぱり究極の上から目線で,悪態や嫌味も忘れず、聞いてるこっちが嫌になる。
何でこの人は、おむつのお世話をしてくれた息子のことをそんなふうに言えるのかと,ずっと考えてた20分間でした。
私はね,母のことは実は昔からそんなに好きではない。
幼かった頃は,母は威圧的だったしいつも私は顔色見てたし気を遣ってた。
産み育ててくれたことには感謝してるし,私が離婚した後も私の子供達のことも色々やってくれたりしたし、どうでもいいとまでは思ってないけど,私の中では今はもう優先順位が低い。
ほとんどボケてないまんま特養に入ることは,とてもキツかっただろうと思うし,想像よりはるかに、絶望感でいっぱいになったかもしれない。が、来るべき時が来たんだって納得してもらうより他にない。
母の母もそうだったし、私だっていつかは母のようになる。
その順番が回ってきたんだ、足掻いてもどうにもならないことなんだ、もう家には帰れないんだ と、母がそれらすべて納得してるかどうかはわからないけど、今ではだいぶ受け入れてくれているとは思います。
母が次の面会で持ってきて欲しいと望んだものは,暖かいベストと、来年のカレンダーでした。
ではお仕事に行ってきまーす🖐️