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港cafe〜☕️

RIKON 2

またまた、表題には全く合っていない、ラッキー7のトップ画像です。
重苦しい話をしても、でももう大丈夫だよってアピールです😊


こないだは、私がA(元旦那)の裏の顔に気付いた瞬間の話をしましたね。

続きから書きます。



その時はね,なんだこいつは気持ち悪い と思ったのは確かなんだけど,そのことを聞いてみようとか責めようとかは思わなかったんですよね。

なんでだろうか、言い争うのが嫌だったのかもしれないし,勝手にカバンのメモを見たことで逆ギレされたら怖いなとか,思ったのかも。私,臆病者なので,争いごとが好きではないんですよね。

非常に弱虫でした。そして、私は自己肯定感もとっても低いので,それはなんで?と聞かれたら自分でもなんでなのかわからない、わかりそうでわからない、とにかく自分に自信がない女でした。……今もまだその傾向はある。

同じころ、まだ子供が小さくて,夜泣きも多かったので、うるさいからとAは隣の部屋で1人で寝るようになったので、密かに傷ついてもいました。でも、父親なんてそんなものなのかなとも思ったり。そう思うようにして気持ちをしまっていたのかもしれません。

結婚指輪もつけませんでしたね。別に料理人とか精密機器を扱うような仕事でもないただの営業マンですけど、何かと理由をつけて付けていませんでした。

そういう小さな積み重ねで、なんかこの人と一緒に過ごしにくいなと思い始めていましたが,まぁ休みの日には普通に家族サービスもしているし、相変わらず好きなアーティストのテレビや映画で一緒に盛り上がったりもするし,嫌なことはスルーして自分の胸の中にしまっておけばいいやって思っちゃってた。

そんなことしたって、ほんとは全然消えないのに。


ここまで書いて,なんで私はそこまで臆病で、相手の顔色を伺っていたのかわかりませんけど,東京には友達もいなかったし,周りにはまだ子育てしている友達もいなかったんで、割と孤独だったんですね。Aは毎晩帰りが遅いし,でも仕事してきてくれてると思うから、子供のことは自分でなんとかしなきゃって思っていたと思う。

でもね、私なりに、児童館に行ってよそのママさんと話してみたり,お散歩ついでに義祖父母の家に行って,子供の顔を見せるついでに義祖父母と話をしてるのは楽しかったです。

実はここに,今の私の仕事(介護士)のルーツがあります。義祖父母にとっても初曾孫だったので、とても可愛がってくださいました。ここで私は、義父母も義祖父母のことも大好きになって、その関係性があったから,離婚する日まで頑張れたところもある。小さな疑惑とか小さな歪みを感じても,味方がいるなって思えたから,たまにAの愚痴をこぼしたりもしてました。義祖母はいつもAを叱ってくれていたけど,Aにとって義祖父母はクリボーです。

1面の1番最初に出てきて,すぐ踏んづけられるクリボーです。

父母はノコノコといったくらいでしょうか。通り過ぎたらそれでOK。

親や祖父母に言われることに対して何にも何とも思ってない,それくらいAの心の中は真っ黒な汚泥でできていました。


そして、私には家にいて欲しい(借金だらけのくせに働かなくていいと言われてた)と言っていたのも,私が働き出せば,家のことや子供のことを自分が何割か担うことになるでしょ?それが嫌だったみたいです。あくまで自分は外に出て,仕事して、仕事以外の自由時間も自分の好きなことしかしない,お前は働いてないんだから家のことや子供のことは全部やれよってことだったみたいです。

ま、良いですよ,子供と過ごすのも大変だけど楽しいし、私は私でちょくちょく地元に帰ったり,昼間はウィンドーショッピングしたり、好きなお裁縫をしたり、お金はないけど私なりに好きなようにも過ごせていたから,まぁ大丈夫でした。

ただ、Aは自由時間にはほぼほぼ女と過ごしておりましたね。。。


例のおかしなメモが見つかってから少しして、ついにケータイを覗き見てしまいました。

禁断の"ケータイ覗き見"です。

やっちゃいけないとは思いつつ、絶対クロだろと勘も働いて,思わず。


そしたらやっぱり真っ黒。

風呂から出たAに飛び蹴りを喰らわせました🦵

怒りは人を突き動かしますな。

土下座してました。土下座してる肩のあたりも蹴っ飛ばしてやりました。

怒った女は怖いですね。

今から女に電話するから というと、結婚する前から関係があったということも早々に白状してました。はやっっ。よわっっ。


私はしばらく実家に帰りました。


それから一週間くらいして迎えにきましたけど,一気に冷めてしまいまして,この頃にはもう離婚も考えていたんですよね。

だけどとにかく、私の中で離婚を躊躇させたのは、母。

なんにも知らずに孫と遊ぶ母。私が幸せだと思っている母。


母は、愛情深くて悪い人じゃないけどプライドが高くて、私が子供の時には結構厳しかった人なので,恐れもあったと思う。

あとはやっぱり、父のいない今,私が母と、障害のある兄をみていかなくてはならない=旦那さんの力も借りていかねばならないだろう という漠然とした未来想像図がそこにはあって、私の勝手な判断ではなぁ……と身動きとりにくかった というところもあります。


続く

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