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〈 このギネスの経緯とルール説明 〉
このギネス記録は、2010年夏秋ごろから始まったようです。
私には打ち合わせなしで始まりました。ですから、私もこのギネス記録のルールについての直接の説明は受けておりません。今までの通信で理解したルールについて記載をしております。
肯定をしない。「ギネス関係者(ジュリー・ザ・タイガース・メディア)は真逆の事を話す」
直接の会話ができない。「私と沢田研二・私とギネス関係者(協力者)」
直接ではなく、関係のない話題や似た話題や物を使う、逆の事を話して通信をしていく。
暗号メッセージの解読方法は、キーワードや数字・似た言葉や話題をパズルのように組み立てて解いていく。
このギネスと関わったファンには、良い事や良いお席やジュリーからの指さし、アイコンタクトなどがある。
このギネス記録は変化をしていく。
私が澤會を脱退したときは、このギネス記録も終了する。
一部の協力者(家族身内など)はゲームに参加できない。
ゴールは私と夫の二人で。
昭和初期に戻すと、このようになりました。