83歳爺ちゃんの音楽ボランティの記録日誌!!最後の最後まで書き続けますのでお付き合い宜しくお願い致します!!

高齢者音楽ボランティアSWINGの出前演奏記録です。
羽曳野市を中心に近隣市で演奏活動を行っています。

SWINGの歌手紙(309)広島原爆投下70年の日を迎えて!!

2015年08月06日 01時35分56秒 | 日記

SWINGの歌手紙(308)

 「81歳の乳腺癌温熱療法日誌23日目」

相変わらず就寝前には温熱シップをしています。

完全に出血は無くなり、下着を汚すことも

なくなりました。癌の周辺が痒く、子供の頃の

できものが治るときに痒くなるあの感じです。

*********************

 広島原爆投下70年の日を迎えて!!

*****2015年 8月 6日木曜日*****

 下記BLOGも同時UPしています。 

 livedoor/  音楽ボランティアSWINGの歌手紙

  yahoo/音楽ボランティアSWINGの歌手紙

  GOO/音楽ボランティアSWINGの歌手  

 FC2/シグナス混声合唱団HP

 **********************

自民党の若手武藤議員の戦争発言が

問題になっている。


戦争はいや、戦争はしたくない、でも東アジアに

は尖閣諸島や沖縄への挑発を度々起こす。

国が存在し実際にフイリッピンやベトナムなどとは

時々小さな衝突が有り飛行場まで作ってしまう国の

存在。


これ等の現実を踏まえての発言だと思います。

戦争の悲惨さは体験しなければわからない、

明治以来戦争に明け暮れた日本、

やっと戦後70年間戦争の無い暮らしが続いて

来ました。


そんな日本が2度と戦争を起こすことは有りえません。

でも、国を守るためにやむを得ず反撃することは、

あり得るかもしれません。


生きるためには国を捨てても良いと言う考え方に

賛成できかねます。


そういう思想信条が無い人は某国に占領された時点で

真っ先に虐殺されるでしょう、何時裏切られるかも

知れない人を優遇するわけが有りません。


そのためには命を掛けても後に続く子供たちを守り

命をささげるのが日本人のこれまでの生き方でした。


私の父はフイリッピンで戦死です、わずか9歳のときに

別れたままです、でも父との楽しい思い出は忘れる

ことが有りません。


小学校1年生の夏休み父の故郷の瀬戸内の

小島で伝馬船を沖に漕ぎ出して私を海に

放り投げて泳ぎを教えてくれたこと!!

お陰で上級生を抑えて競泳で1番になれたこと!!


真冬の生駒登山で猛吹雪に合い父とはぐれて

仕舞って頂上近くのケーブル乗り場で再開して

甘酒を飲んだこと!!

父は何度もこの猛吹雪の中を探し回ったことでしょう。


そして召集が有り大阪駅まで見送り父がそっと涙を

拭うのを見たこと!!


母33歳、私9歳、次男6歳、3男1歳の子供を残しての

死への旅立ちです。


辞世を今でも忘れず覚えています。

「国の為 命捧し 父の名を

夢けがさじと 励め わが子ら」

もう帰る事が無いことを覚悟した辞世です!!


それからの母の苦労は計り知れません。

 

でも、思いだすのは終戦の前日の14日大阪城

に近接していた工廠への米軍の爆撃は悲惨でした。

私は遠く離れた寝屋川の小高い丘から見ていました。

焼夷弾のばら撒かれる様子爆弾が落ちててゆく様子は

はっきりと見ることが出来ました。



その下には逃げ惑う人たちが当然いるわけで、

だんだんとこちらへ向かってくるような気がして

恐怖が襲って立ちすくんでいたのを覚えています。


私の住まいは警察官宿舎でしたのであの大阪

京橋の空襲で警戒に当たっていた警官1名が

焼夷弾が頭に直撃し即死されたあ方がいました。

私と同級生のお父さんです。


「ただ、くそ、戦闘機は何故来ないのか?」

とただただ待っていましたが現れるわけは有りません。

後で知ることになりますが、特攻にまわされて

なかったのですから。


でも、早く大きくなり米軍をやっつけたいと言う

思いは小学生ながら全員が持っていました。


米軍に見立てた藁人形を竹やりで突く稽古を

していました。今では笑いごとですが当時は

必死でした。


戦争は嫌だはみんなの共通した想いです!!

でもいやおう無く巻き込まれる、

攻めてこられる場合、逃げ惑うのか、戦うのか

どちらを選ぶのでしょうか?


男なら子供や奥さんを守るために立ち上がる

ことになるでしょう。


それとも子供たちや恋人を捨ててでも逃げるのですか?

この狭い日本のどこへ逃げるのでしょうか?


それとも無抵抗で恥も外聞も無く捕虜になることを

選ぶのでしょうか?


捕虜になった後の惨状はご存知でしょうか?

命惜しさになんら抵抗もせず国を見捨て家族を

見捨て降服する。


そう言う弱さは相手にも嫌われるのです、

その挙句が虐待となって現れるのです。


自分が殺した日本兵の頭蓋骨を持ち帰り

自宅に飾っているようなお国柄です。


日本の捕虜の待遇とは全く違います。

第1次世界大戦でとらわれたドイツの捕虜は

四国徳島でで交響楽団を作りベートーベンの

第9を演奏それが日本国中に広まり現在の

第9ブームになっているくらいです。


日本軍は自分たちが食べなくても捕虜には

食料を与えていたそうですが、かの国ははその

ほとんどを殺してしまったそうです。


それも仕方が無いかもしれません、

何万いや何十万の捕虜うに与える食料は無かった

でしょうし自分たちの食料を分け与えたのでは

戦えませんから。

 

日本軍でもそうした所があった可能性は有ります。

それを一概に残虐と言うのは違っているのでは

生きるか死ぬかの戦いですから。


それなら捕虜を殺さず解放すればよいと戦争を

知らない方は言いますが、本国へ連れ帰った捕虜

とは違い戦地での捕虜は解放すると原隊復帰し

再び戦いに臨み戦力となるために、

殺害するしか無いのです。


戦後の軍事裁判でこれを虐殺罪に問われて

絞首刑になった軍人が多くいます。

裁いた側はどうだったのでしょうか、日本の数倍もの

兵士を虐殺しています。


きっかけがどうあれ戦争には正義は存在しません!!

戦争に至る経過もそれなりの理由があり戦争が

起こります。


今日は広島に原爆が投下され何十万と言う

方が亡くなり傷つかれました。

ご冥福をお祈りいたします!!


新型爆弾投下の新聞記事は目に焼きついています!!

なんて凄い爆弾なんだと!!


終戦前の爆撃予告のチラシは無かったのでしょうか?

大阪では終戦まじかには爆撃予告のビラが舞い落ちて

きました。「何月何日の何時頃どこそこを爆撃すると。」

余裕の戦争をしていたのですね。


戦争って怖い嫌です、でも戦わなければならない

ことも有ります。


そうならないように平和が何時までも

続きますように!!











最新の画像もっと見る

コメントを投稿