「育ち」に拘っていた
てっきり いいとこの出かと思った
(夫が話したこと)
戦争の時
義父母は満州にいたそうだ
日本に帰ってくると
義父は岡山県庁で
雑用仕事をしていたらしい
給与が安いので
職を求めてこちらに来たそうだ
義父は
タクシー会社の運転手の職を得て
会社の家に?間借り暮らしを
家族で 10年ぐらいしていたそうだ
10年後 古家を借りたが
古すぎて また間借りに戻った
夫が20歳の頃
義父から平家を買う話を聞いて
資金のほとんどを払ったそうだが
でも かなりの古家の為
かなり大きなムカデが出たり
山裾にあったので
大雨や台風などがあると
土砂災害に見舞われる恐れがあり
夫は30歳の時に
別の土地で新築したそうだ
48年前 義母は
私をどこの馬の骨となじったが
実父は
地元の市の役所に勤務していた
実母の病気で看病の為に退職した
大学でも 講義をしていたそうだ
実母は看護師で
母方の親類は 教師・警察官の職に
ついた人が多いと聞いている
また
母の兄はかなり地位の高い人だった
実父母の家庭は
子沢山で市役所を退職した日を境に
貧乏暮らしに急転していったようだ
私はどこの馬の骨でもじゃなかった
義母よりはましなで出自だった