
まずは上の写真をご覧下さい。
このマンホール、凄く洒落てるんですが、お分かり頂けますでしょうか。
って、普通は分からないよなぁ。もう少し悩んでて下さい(^_^;)
全国に数多くの種類があると言われるマンホール。
もちろん東京都内にも複数の種類が存在していますが、
下水道局の陰謀により、23区内に関しては桜マンホがほとんどであり、
オリジナルデザインのマンホールを探し出すことは至難の技であります。
しかし、だからといって諦める必要は全然ございません。
探せばあるんです。23区内にはレアマンホが眠っているんです。
尾久八幡公園から歩くこと約3分、荒川区西尾久にある八幡児童遊園へとやって来ました。
ここで凄い物を見つけちゃいました。まさかこんな所でマンホに出会うなんて!?
予想外の出会いに驚きを隠せません。っていうか衝撃だ。感動的だと言わざるを得ない。
と、このようにいつまでも興奮していては、マンホールハンター失格であります(-_-;)
冷静になって写真を撮らなくては・・・。その時撮った写真が、トップのマンホールです。
どこが洒落てるのか早く教えろって!?
まぁまぁ、慌てない慌てない。恋に焦りは禁物だよ(^_-)-☆
以下の説明書きをご覧あれ。尾久マンホに隠された秘密がバッチリ載ってます。

“ヲが9ケで「ヲク」と読ませた”と確かに書かれています。
秘密に気付くためには、地名である「尾久」をカタカナ「オグ」に変換し、
さらに当時の発音を考え「ヲク」とする必要がありました。うーん、難しいっ!
ヲを9個、円形に並べて「尾久」を表現する。
洒落てますよねえ。当時の人のユーモアセンスが偲ばれます。
ええ、きっと大正デモクラシーの影響に違いありません。(えっ、そうなの!?
デザインも鳥の風切り羽根や西欧の風車、もしくは現在で言うところの観覧車を彷彿とさせ、
非常にカッコイイと思います。もしかしたら江戸の花火かも。いや、クモの巣に違いない。
“I'm Spiderman!”(笑)。 このように洗練されたデザインは人を魅了します。
冗談はさておき、
なんと、この「ヲクマーク」、尾久町の章だそうです。
町章や市章がマンホールの中央に配置される構図は、現在のそれと一緒ですね。
しかしながら、親父ギャク的発想が市町村の正式なマークに採用されるとは意外でした。
行政レベルで言うならば、池袋にあるいけふくろう(石像)と同じ原理なのか。まぁ納得だ。
南セントレア市なんてまだまだ甘い。そう思わせるほど、ヲクマンホの印象は強烈でした。
゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜
゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜
説明書きにあった通り、この地域に下水道が整備されたのは昭和初期のこと。
つまり、戦前ですね。この時に農業用水路である「八幡堀」も埋め立てられました。
野生のメダカが姿を消した瞬間でもあります。都市化、工業化の波は残酷です。
では少しだけ昭和の時代にタイムスリップしてみることに致しましょう。
第二次世界大戦中、兵器産業における鉄需要に供給が追いつかなくなり、
街角にあったポストでさえ政府当局に回収されてしまった、という話を聞いたことがあります。
緊迫した状況の中で、マンホールの蓋が生き残ったことは奇跡的なことではないでしょうか。
私はこの史実を“東京下町の奇跡”、“荒川区の奇跡”と呼びたいと思います。
閑静な住宅地に囲まれた小さな公園に存在する歴史的マンホール。
それは私に様々な思いを巡らせたのでした。本当にありがとう。
以上、世界に一つだけのマンホ、尾久町マンホの発見レポートでした。
モニュメント的扱いを受けていたことと、発見例がこの場所以外に見当たらないことから
世界に一つだけと判断しました。いずれにしても、歴史的価値のあるマンホールであることに
疑いの余地はありません。東京を訪れた際は、荒川区にも是非。貴重なマンホが待ってます。
【八幡堀プロムナードにまつわる物語】
八幡児童遊園のすぐ横に、八幡堀プロムナードという小径がありました。
ここには、「尾久村八幡堀の跡」と題された絵タイルが9枚並んでいます。
荒川区立尾久宮前小学校の児童が1989年3月25日に制作したものです。
その中でも、私が最も気に入った絵タイルを紹介したいと思います。

作品タイトル「太陽」。ダイナミックな構図が素晴らしい。
八幡堀プロムナードの脇に設置された説明書きには次の内容が記されていました(要約)。
「社会科の学習で八幡堀のことを学んだ尾久宮前小の児童は、昔の様子をいろいろと想像し、
これを絵に描きました。その絵をもとにして作られたのが、この9枚の絵タイルです。」
※この説明書きは、荒川区教育委員会が設置したものです。
゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜
「めでか」エントリーで判明した通り、この地域はかつて田園風景が広がっていました。
「八幡堀」が豊かな水を湛え、メダカの群れが泳ぎ、鶴が舞い、桜草が咲き乱れていました。
しかし、これらの美しい風景も時代の進展と共に人々の記憶から忘れ去られようとしてたのです。
このまま記憶は廃れてしまうのか。その時、尾久宮前小学校で1つのムーブメントが起きました。
「昔についてわかるものを家から持ち寄ろう!」
この言葉がきっかけとなって進められたのが、説明書きにあった社会科の授業です。
4年3組、望月学級の生徒たちは、テーマに示された通り、様々な物を持ち寄りました。
そして、その中に地図がありました。大正時代まで流れていた石神井川の分流の音無川から
尾久地区に農業用水を引いていたことを示す地図でした。この発見から物語は大きく躍動します。
(後に地図の原本は、荒川区の有形文化財に指定されました(平成2年)。
生徒たちは、西尾久周辺地域の過去を徹底的に調べました。
自分の家族やご近所のお年寄りたちに昔の様子を聞いて回り、証言を集めたのです。
地道な調査により、お堀の存在を確信した生徒たちは、研究結果を一つにまとめました。
それらをもとに先生と親達がこのお堀「八幡堀」の道筋を辿る記念遊歩道の敷設を
荒川区長に請願しました。それが現在の「八幡堀プロムナード」なのです。(おわり)
゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜
説明書きを読んで、尾久宮前小は先進的な学校だと感心させられました。
今で言う「総合学習」ですよね。皆で1つのことに取り組めた彼らが羨ましい(笑)。
いつの時代になっても、地域の歴史を学ぶことは、地域社会に対して愛着を持つ意味でも、
とても重要なことだと思います。21世紀を生きる子供たちにも、もちろん我々大人の世代にも、
地域の歴史を学ぶ必要性があるのではないでしょうか。それは有意義なことに違いありません。
今週末は地元の図書館に通って、地域の歴史的資料を調べてみたいですね。
【八幡掘関連ウェブサイト】
★八幡堀モニュメント(荒川ゆうネット)
★尾久八幡神社・八幡堀(あっぷるロード近隣紹介)
★荒川区立尾久宮前小学校のホームページ
この記事を書くに当たり、以上の文献を参考にしました。
【Information】
今回訪れた場所/荒川区立八幡児童遊園
アクセス方法/都電荒川線「宮ノ前」駅下車、徒歩2分
近くには東京女子医科大学附属第二病院があります。病院にお越しの際は、
ぜひ八幡堀プロムナードの方にもお立ち寄り下さい。歴史に思いを馳せてみませんか。
【追記】普遍的なのか!?
福岡市、福島市の市章が、尾久町の市章と同様のユーモアを放ってました。
情報を提供して下さったDiarioのmicioさん、本当にありがとうございましたm(__)m
※全国知事会ホームページ、都道府県章(シンボルマーク)も興味深いデザインとなっています。

【ご報告】
「何のマークに見えますか?」の記事が、デイリーポータルZのコネタ道場に採用されました。
審査して下さった道場主(兼たき火マスター)の石原浩樹さん、本当にありがとうございました。
このマンホール、凄く洒落てるんですが、お分かり頂けますでしょうか。
って、普通は分からないよなぁ。もう少し悩んでて下さい(^_^;)
全国に数多くの種類があると言われるマンホール。
もちろん東京都内にも複数の種類が存在していますが、
下水道局の陰謀により、23区内に関しては桜マンホがほとんどであり、
オリジナルデザインのマンホールを探し出すことは至難の技であります。
しかし、だからといって諦める必要は全然ございません。
探せばあるんです。23区内にはレアマンホが眠っているんです。
尾久八幡公園から歩くこと約3分、荒川区西尾久にある八幡児童遊園へとやって来ました。
ここで凄い物を見つけちゃいました。まさかこんな所でマンホに出会うなんて!?
予想外の出会いに驚きを隠せません。っていうか衝撃だ。感動的だと言わざるを得ない。
と、このようにいつまでも興奮していては、マンホールハンター失格であります(-_-;)
冷静になって写真を撮らなくては・・・。その時撮った写真が、トップのマンホールです。
どこが洒落てるのか早く教えろって!?
まぁまぁ、慌てない慌てない。恋に焦りは禁物だよ(^_-)-☆
以下の説明書きをご覧あれ。尾久マンホに隠された秘密がバッチリ載ってます。

“ヲが9ケで「ヲク」と読ませた”と確かに書かれています。
秘密に気付くためには、地名である「尾久」をカタカナ「オグ」に変換し、
さらに当時の発音を考え「ヲク」とする必要がありました。うーん、難しいっ!
ヲを9個、円形に並べて「尾久」を表現する。
洒落てますよねえ。当時の人のユーモアセンスが偲ばれます。
ええ、きっと大正デモクラシーの影響に違いありません。(えっ、そうなの!?
デザインも鳥の風切り羽根や西欧の風車、もしくは現在で言うところの観覧車を彷彿とさせ、
非常にカッコイイと思います。もしかしたら江戸の花火かも。いや、クモの巣に違いない。
“I'm Spiderman!”(笑)。 このように洗練されたデザインは人を魅了します。
冗談はさておき、
なんと、この「ヲクマーク」、尾久町の章だそうです。
町章や市章がマンホールの中央に配置される構図は、現在のそれと一緒ですね。
しかしながら、親父ギャク的発想が市町村の正式なマークに採用されるとは意外でした。
行政レベルで言うならば、池袋にあるいけふくろう(石像)と同じ原理なのか。まぁ納得だ。
南セントレア市なんてまだまだ甘い。そう思わせるほど、ヲクマンホの印象は強烈でした。
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説明書きにあった通り、この地域に下水道が整備されたのは昭和初期のこと。
つまり、戦前ですね。この時に農業用水路である「八幡堀」も埋め立てられました。
野生のメダカが姿を消した瞬間でもあります。都市化、工業化の波は残酷です。
では少しだけ昭和の時代にタイムスリップしてみることに致しましょう。
第二次世界大戦中、兵器産業における鉄需要に供給が追いつかなくなり、
街角にあったポストでさえ政府当局に回収されてしまった、という話を聞いたことがあります。
緊迫した状況の中で、マンホールの蓋が生き残ったことは奇跡的なことではないでしょうか。
私はこの史実を“東京下町の奇跡”、“荒川区の奇跡”と呼びたいと思います。
閑静な住宅地に囲まれた小さな公園に存在する歴史的マンホール。
それは私に様々な思いを巡らせたのでした。本当にありがとう。
以上、世界に一つだけのマンホ、尾久町マンホの発見レポートでした。
モニュメント的扱いを受けていたことと、発見例がこの場所以外に見当たらないことから
世界に一つだけと判断しました。いずれにしても、歴史的価値のあるマンホールであることに
疑いの余地はありません。東京を訪れた際は、荒川区にも是非。貴重なマンホが待ってます。
【八幡堀プロムナードにまつわる物語】
八幡児童遊園のすぐ横に、八幡堀プロムナードという小径がありました。
ここには、「尾久村八幡堀の跡」と題された絵タイルが9枚並んでいます。
荒川区立尾久宮前小学校の児童が1989年3月25日に制作したものです。
その中でも、私が最も気に入った絵タイルを紹介したいと思います。

作品タイトル「太陽」。ダイナミックな構図が素晴らしい。
八幡堀プロムナードの脇に設置された説明書きには次の内容が記されていました(要約)。
「社会科の学習で八幡堀のことを学んだ尾久宮前小の児童は、昔の様子をいろいろと想像し、
これを絵に描きました。その絵をもとにして作られたのが、この9枚の絵タイルです。」
※この説明書きは、荒川区教育委員会が設置したものです。
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「めでか」エントリーで判明した通り、この地域はかつて田園風景が広がっていました。
「八幡堀」が豊かな水を湛え、メダカの群れが泳ぎ、鶴が舞い、桜草が咲き乱れていました。
しかし、これらの美しい風景も時代の進展と共に人々の記憶から忘れ去られようとしてたのです。
このまま記憶は廃れてしまうのか。その時、尾久宮前小学校で1つのムーブメントが起きました。
「昔についてわかるものを家から持ち寄ろう!」
この言葉がきっかけとなって進められたのが、説明書きにあった社会科の授業です。
4年3組、望月学級の生徒たちは、テーマに示された通り、様々な物を持ち寄りました。
そして、その中に地図がありました。大正時代まで流れていた石神井川の分流の音無川から
尾久地区に農業用水を引いていたことを示す地図でした。この発見から物語は大きく躍動します。
(後に地図の原本は、荒川区の有形文化財に指定されました(平成2年)。
生徒たちは、西尾久周辺地域の過去を徹底的に調べました。
自分の家族やご近所のお年寄りたちに昔の様子を聞いて回り、証言を集めたのです。
地道な調査により、お堀の存在を確信した生徒たちは、研究結果を一つにまとめました。
それらをもとに先生と親達がこのお堀「八幡堀」の道筋を辿る記念遊歩道の敷設を
荒川区長に請願しました。それが現在の「八幡堀プロムナード」なのです。(おわり)
゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜ ゜l゜
説明書きを読んで、尾久宮前小は先進的な学校だと感心させられました。
今で言う「総合学習」ですよね。皆で1つのことに取り組めた彼らが羨ましい(笑)。
いつの時代になっても、地域の歴史を学ぶことは、地域社会に対して愛着を持つ意味でも、
とても重要なことだと思います。21世紀を生きる子供たちにも、もちろん我々大人の世代にも、
地域の歴史を学ぶ必要性があるのではないでしょうか。それは有意義なことに違いありません。
今週末は地元の図書館に通って、地域の歴史的資料を調べてみたいですね。
【八幡掘関連ウェブサイト】
★八幡堀モニュメント(荒川ゆうネット)
★尾久八幡神社・八幡堀(あっぷるロード近隣紹介)
★荒川区立尾久宮前小学校のホームページ
この記事を書くに当たり、以上の文献を参考にしました。
【Information】
今回訪れた場所/荒川区立八幡児童遊園
アクセス方法/都電荒川線「宮ノ前」駅下車、徒歩2分
近くには東京女子医科大学附属第二病院があります。病院にお越しの際は、
ぜひ八幡堀プロムナードの方にもお立ち寄り下さい。歴史に思いを馳せてみませんか。
【追記】普遍的なのか!?
福岡市、福島市の市章が、尾久町の市章と同様のユーモアを放ってました。
情報を提供して下さったDiarioのmicioさん、本当にありがとうございましたm(__)m
※全国知事会ホームページ、都道府県章(シンボルマーク)も興味深いデザインとなっています。

【ご報告】
「何のマークに見えますか?」の記事が、デイリーポータルZのコネタ道場に採用されました。
審査して下さった道場主(兼たき火マスター)の石原浩樹さん、本当にありがとうございました。