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2月15日生まれの著名人を紹介します-BirthDay 紹介-

2021-02-15 14:01:13 | 日記

・月亭方正
お笑い芸人
落語家
1968年生 兵庫県出身
1988年 軌保博光と「GSX(ガスペケ)」を結成して、デビュー
1989年 東京進出を機にコンビ名を「TEAM-0」に改名
東京進出はダウンタウンよりも3か月早い
同年 「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」放送2回目から前説として参加26回目に出演
後に初のレギュラー出演番組となる
1991年 第12回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞
1993年 「TEAM-0」が解散
ピン芸人として活動を開始
1998年 「天才てれびくん」→「天才てれびくんワイド」でリサ・ステッグマイヤーと共に
3代目の司会を務め2000年度まで3年間担当
テレビ東京系で放送されていたアニメーション「学級王ヤマザキ」の主題歌「ヤマザキ一番!」を歌いCD化
1999年「ヨシモトムチッ子物語」に登場する「ヤマザキゴキブリ」の元ネタとなる
2001年 11歳年下の一般女性とのできちゃった結婚を発表
結婚式の模様は「ガキの使い」内で放送される
2002年 ヨシモトファンダンゴTVで放送された番組「邦正音楽工房」から
女性アイドルデュオ「AiAi」をデビューさせる
2005年 TOKYO FMで芸能生活17周年を記念して
3時間の生放送特別番組が放送される
「M-1グランプリ2005」にカンニング竹山と漫才コンビ「竹山崎」を結成して参戦
予選三回戦にて敗退
中村うさぎとの共著「うさぎ・邦正の人生バラ色相談所―苦悩の泥沼にハマッてしまった人へ」を出版
2006年 「M-1グランプリ2006」にカンニング竹山との「竹山崎」に
たむらけんじをメンバーに加えた「たむらけんじと竹山崎」を結成して参戦
予選三回戦にて敗退
その後生殖器の海綿体が硬質化する陰茎疾患の一種であるペイロニー病を患う
2007年 村田あゆみのセカンドアルバム「Happy Candy」の中の「Birthday」と「伝説の狼」の作詞と作曲を行う
大腸憩室炎を患い約三週間の入院後、復帰
2008年 正月特番として初の冠番組『祝 山崎邦正20周年 ホンマは正月よりもめでたいでぇ!』が関西テレビにて放送される
自身初の写真集&エッセー「奇跡」を出版
「月亭方正」への改名編集2008年5月月亭八方から「月亭方正」を名乗ることを許可され
5月11日の八方の勉強会で落語「阿弥陀池」を演じる
同年12月8日京橋花月で落語家として高座に上がる
スコップ三味線第2回世界大会(2008年12月21日)で
初出場ながら個人の部第3位 になる
2009年12月、上方落語協会加入
2011年1月15日から月亭八方と「全国行脚、月亭二人旅」をよしもと浅草花月からスタート
2012年9月、落語活動に専念するため拠点を大阪に移す
2012年12月17日、翌2013年元旦より、全ての活動を「月亭方正」として活動することを発表
2013年、芸名を本名の「山崎邦正」から、高座名の「月亭方正」に改名
2019年、月亭方正とたむらけんじの共同プロデュースおよび総合司会による大型野外イベント
「大阪パフェ」が11月9日-10日の2日間にわたり、大阪・万博記念公園で開催される


・堀ちえみ
女優
歌手
タレント
1967年生 大阪府出身
1981年に開かれた第6回ホリプロタレントスカウトキャラバンの優勝をきっかけとして芸能界入り
1982年3月に「潮風の少女/メルシ・ボク」で、アイドル歌手としてデビュー
なお、デビュー当時のキャッチフレーズは「GOOD FRIEND」
堀の代表曲
1983年「さよならの物語」
1984年「クレイジーラブ/愛のランナー」
1985年「リ・ボ・ン」など
また同期生のデビューでは、小泉今日子、三田寛子、松本伊代、早見優、中森明菜、石川秀美、シブがき隊らが居り、「花の82年組」とも言われた
さらに、1984年末の「第35回NHK紅白歌合戦」には「東京Sugar Town」で初出場を果たしている
大映ドラマのヒロイン役で活躍
1983年にTBS系列で放送されたドラマ「スチュワーデス物語」で大映ドラマ初主演
劇中での「教官!」「ドジでノロマな亀」の台詞は流行語になり
翌1984年に新語・流行語大賞に指名され、大衆賞を受賞
この「スチュワーデス物語」以外にも「スタア誕生」や「花嫁衣裳は誰が着る」でも主演し
「少女がいじめや冷酷な仕打ちに耐えながら、終いに幸運を手に入れる」という
1980年代の大映ドラマを象徴するキャラクターを演じた
1987年3月、20歳の誕生日を迎えた直後、堀自ら電撃的に歌手活動を含め、芸能界を引退する事を表明
1989年、松竹芸能に所属し芸能活動を再開
2001年、14年ぶりのシングル「ピンクのアオザイの裾を夜風にあそばせ -サウスウインド」をリリース
2005年から歌手活動を本格的に再開
大阪(9月17日)・東京(9月24日)で、18年ぶりのソロコンサート「青春の忘れ物」を行う
2007年11月には、大阪Big Cat(13日)・東京duo MUSIC EXCHANGE(23日)でデビュー25周年記念ライブ「君といる世界」を開催
初めてのライブハウスでの公演となった
2009年には、SHIBUYA・AXでバースデーライブを開催
夏には23年ぶりの映画出演となる「色即ぜねれいしょん」が公開
2010年6月、2度目の離婚
2011年12月11日、自身のファンだった
一般男性と3度目の結婚
2017年3月20日、デビュー35周年記念ライブ
「Chiemi Hori 35th Anniversary Live 〜ちえみちゃん祭り2017〜」
を品川ステラボールで開催
口腔癌による休業
2019年2月19日、自身のオフィシャルブログにて、口腔癌(舌癌)に罹りステージ4と診断され
左首のリンパ節にも転移していることを公表し、同日に入院
当面は芸能活動を休業して療養に専念するとした同年闘病生活についてつづった著書「Stage For〜舌がん『ステージ4』から希望のステージへ」を刊行
同月3日に行われた出版社のパーティに参加し
術後初めて公の場に登場
当日のあいさつでは、あらかじめ自身で書いた文章を代読してもらう形となった
2020年1月3日、芸能活動復帰を報告
同月7日放送の「徹子の部屋」が復帰後初仕事となった
2020年8月23日、24時間テレビ43にて手術後初の歌を披露した


フィクション上の出来事
のび太の両親が出会う
原作版ドラえもんによると1950年の今日 野比のび助(のび太の父親)が片岡玉子(のび太の母親)と知り合ったそうです

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