これならわかる!ナビゲーター日本史B1原始・古代~鎌倉
この本から学ぼうと思ったのは、気になっていた仏教のことです。
唐風文化と平安仏教
平安遷都から9世紀末頃までの文化を、嵯峨・清和天皇の時の年号から弘仁・貞観文化と呼んでいます。この時期には、平安京において礼制など唐文化の影響を受けながら、貴族を中心とした文化が発展しました。宮廷内では、朝賀や即位式などの儀式が体系化されていき、それをまとめた「貞観儀式」も編纂されました。また、821(弘仁12)年に完成した「内裏式」は、藤原冬嗣らが編纂した最初の勅撰儀式所です。
それから文芸中心として国家の隆盛を目指す文章経国思想がひろまり、宮廷では漢文学が発展し、814(弘仁5)年に「凌雲集」、818(弘仁9)年に「文華秀麗集」、827(
天長4)年に経国集といった三つの勅撰漢詩集があいついで編まれました。また仏教では新た伝えられた天台宗・真言宗が広まり、密教が盛んになりました。
最澄・空海は、平安仏教を取持したのです。
最澄(伝教大師)は、近江国出身で近江国寺や比叡山で修学し、804(延暦23)年遣唐使に従って入唐、天台の教えを受けて帰国して、天台宗を開き、それまでの東大寺戒壇における受戒制度に対して、新しく独自の大乗戒壇の創設を目指した。これは南部の反対を受け、顕戒諭を著しています。
そののちに見られる浄土教源信や開祖たちはここで学んでます。
最澄が著した山家学生式は僧侶の育成書になりました。
空海(弘法大師)は、儒教・仏教・道教の中で仏教の優位を諭じた三教指帰を著して仏教に身を投じています。
真言は密教の中心仏であり宇宙の根本仏とされる大日如来の真実の言葉の意で、その秘奥なことをさして密教と呼ばれました。
特徴は、釈迦の教えを経典から学び、悟りを開こうとすることにあります。
こうして見ていくといろんなことが解りました。