前の記事で語った記憶
心の痛み
母のこと考える度に
受けてきた傷
よみがえる
それゆえ気軽に電話
掛けるなんてことも難しく…
一度、掛けてしまえば
勢いに乗って
一定期間の間は話すことが出来る
けど
しばらく期間が空いてしまうと
また話せなくなる…
この度は
ドラマ『半沢直樹』の奮い立つ気持ちに
私も奮い立たされて
ようやく決断に至った
母の居る大阪に引っ越すこと。
心の痛み
自分の心の声
それに従うなら母のところには
行きたくない
過去の痛みだけでなく
会うたびに、さらに傷つく事になるから
それでも、
それでも母のところに行く決心をしたのは
第一に、コロナ ですね
私が感染して死ぬかもしれない
その後のこと
私が死んだ後のことを考えると
高齢者の母が、
愛媛に来て、私の後片付け出来るのか?
そう考えた時
無理だな…と。
第二に、私が愛媛に留まって
生活を続けていて
母に介護が必要になった場合、
私が、仕事の休みの間を利用して
毎週、大阪⇔愛媛 通うことは不可能。
経済的にも、私の体力的にも
それは無理。
持ちません。
第三、母との縁を切ってしまえば
ずっと愛媛に居ること可能でしょう
ですが、
いくら母のこと嫌いとはいえ
母を見捨てること
私には出来ず…
心の痛み与えておいて
酷いこと言ったりする母でも
私の中に愛が残っているから…
私にしてきたこと
やり方が虐待だったとはいえ
私を憎んで嫌って
そうしていたわけでなく
心配し過ぎて行き過ぎた行為…
私の気持ちは見えず
見ようともせず
それゆえ
そうなってしまったこと
母の中にも愛があること
ゼロではないと信じているから。
母は酷いこと私に、ほんと言うけどね
今回、家探しで大阪に行って
ホテルに10日滞在した…
その期間で、
母と毎日、顔を合わせる。
ペットのうさぎを連れて行ったから
その時点からでも
酷いこと言われました
『お金ないのに、うさぎ飼って』
『うさぎ売って、お金に変えたら?』
『うさぎ、くさい、可愛くない』
散々な言われよう
母だけに限らずだけど
こういう風に言う人に
愛があるのだろうか?と
疑いたくなりますね…
ペットショップに預けようと
探したんですが
うさぎはデリケートなうえに
コロナの影響もあり、
飼い主がコロナに感染で預けるといった
こともあったり
そもそも、うさぎ預けられるところ
松山には少ない
いつも預けるところでは
予約で1ヶ月先まで埋まっていて
そういうことで
仕方なく
うさぎと一緒に大阪へ行ったのです!
うさぎのこと心配でしたが
私と一緒だったからか
移動中は
じっとして縮こまったりしてたけど
母の家に着いて
翌朝、水飲んで牧草も食べていたので
うさぎのほうは
大丈夫でした
そういう
うさぎ預ける状況からでも
『ペット飼ってるから、いけないんだ』
と言う…
「大変だったね」とか
「世話出来ないけど、うちに預けたらいいよ」とか
そういう言葉、
私は欲しかったよ…
うさぎを母のところに預けること
初めて強引に、お願いして
母も、しぶしぶ合意してくれました
母と向き合って話すること
結婚後なく。
3~4年に1回、会っていたけれど
夫が、私の代わりに話をして
私からは、ほとんど話すことなかった。
私の心の痛みのことは
夫に話していたので
夫は、それを知ったうえで
母と接してくれていました。
母は、
私が心を痛めていること
全く知らない
考えてもいないことなので
私が、母と話そうとしないこと
夫ばかりが話をしていたから
それで
『なぜ話そうとしなかったの!』
『何が気に入らなかったの!』
夫が居なくなった今
私に問いかけてきた
母と特に話すこともなかったし
夫が話すことで
その場の雰囲気を和ませていたから
私は聞いてるだけで、それで良かったから。
母と、もしまた向き合おうとしてたら
その場には、また嫌な空気
漂ってしまう…
そういうの、嫌だったから
度々会っても話さなかったよ
それが母にとって
わだかまりに なっていた
「私が話を、ほとんどしなかった」
ということに対してだね
そして母は、わだかまりに思っていること
昔の事から語り始め
私が「そうじゃないよ」って言っても
母には理解出来ないから
私と考え方の違いで、ぶつかる
子供の頃の私だったら
「ごめんなさい」か「はい」
「もうしません」
それぐらいしか言えなかったから
今の私は、悪い子
私自身の考えを口にしたから
言わないと
話さないと
伝わらない
母は、いろんなところで
勘違いしていて
というより
考えてもみなかったことだったから
私だけのことじゃなく
夫のことも
夫の両親のこともあって…。
母は、自分中心の見方
相手の気持ちを考えた物事の見方は
出来ないのだろう…
出来てたら、
私が、ここまで傷つくことないし
それで母は、自身の主張ばかり
それゆえ
『ここから出ていけ
あんたが可哀想だと思って
うさぎのことも
食事のことも
してやってる
あんたに、どれだけのこと
してやってると思ってるの』
と、母が感情を爆発💣️
だけど私は、
その場を耐えて
涙も出てこなかった
今までの私なら
即、泣いていた…
酷いこと
メチャクチャ酷いこと
言われているのだから
でも耐えた
母が、ずっと心にあった思い
受け止めようと
私は涙流さず
じっと耐えた
「私に言いたいことは、言えた?
母の気持ち、受け止めるから話して」
と。
私も言うことが出来た
母は、その私の態度から
感情乱したこと
踏み留まり
気持ち、落ち着かせて
母が、わだかまりに思っていた事
それに対する私からの返答
母は、ようやく
聞き耳を持つようになってくれて
私の話を聞き始めた。
約30年ぶり。
母と二十歳の頃に大喧嘩してから
それ以来のことだから。
母は私が嫌い
考え方が違うようになったから
それで、私が大阪に引っ越す理由
母は私に、
『生きていくのに困ったから
ここに来るんだ』
そう解釈してた
確かに困ってないとは言えず
困っているのは確か…
だけど「それが理由じゃない
私も母のこと嫌いだけど
それでも
大阪に引っ越そうとしているのは
嫌でも愛があるからだ」
母は困惑しながらも
(自分の排泄まで介護してくれるの?
という問いに対して、
私は、してあげられるよ。と言ったから。
恥ずかしさゆえ困惑しながらも)
嬉しそうな顔をして
『あんたが、そういうんだったら』
照れていた
その日は、
母のわだかまりが、
収まったということで
話が終わり。
翌日、
また違うことで
母と考え方の違いで
ぶつかった
引っ越し先の家のことで
母は『場所を知っておきたいから
連れて行って』と。
私は「まだ1ヶ月先の話だし
まだ時間あるし
正式契約は、まだしてないから
鍵も、もらっているわけでもない
今、行っても…」
母が場所を知ると
私が居ない間
どうなるか…
子供の頃、プライバシーのことで
勝手なことされている記憶がある
私は、それが嫌だ
母としては場所を知りたいだけ。
今は、そうだろう
私は、その先のことを考えて
「まだ早い」と。
母は、私に子供の頃にしたこと
覚えていない
『育ててやった』
という記憶しか残っていないから…
『母さんは知りたいだけなのに、
どうして教えくれないの』と
強い口調で、
しかも何度も言うから
それが厄介なんだって
しつこく言われるのが
嫌になって
子供の頃のこと
話始めた…
話さないと、ずっと母は理解出来ないまま
だから…
今度は私が抑えていた感情爆発💣️
というか
そこは私も抑えられない
自分の子供の頃の話をする時
死のうと思ったほど
心痛めていることだから
傷が深すぎて
それで母は、今度は母が
自分のした しつけ
私が、どれほど心を痛め
どれほど傷つき
それが消えることがないほどの
心の痛み
ずっと抱えてきたか
悟って
『母を、私を殴りなさい』と言った
私は『それは出来ない!
母を殴ることなど出来ない』と。
母『なんで、もっと早く言わなかったの』
私「お母さんが、
聞く耳を持ってくれなかったから。
二十歳の頃の大喧嘩のことを話して
その時も話した。けれど
お母さんは、聞く耳持たなかった」
母『そうだったんだ…
酷いことをして、ごめん
ほんとに悪かった。
お母さん、悪かった』
やっと…
私の気持ち、通じることが出来た
たとえ、
一時の記憶だったとしても
母が、ようやく私の気持ちに
向き合ってくれたから
私にとって深い心痛みは
これで消えた
ということにはならないけれど
それでも
通じたことで
母との関係
ギクシャクしていたことが
今は、ともかく収まって
良かったかな
…………見えてくるもの…………
子供の頃は、
親に逆らうと
ますます怒られるし
自分の気持ち、
言ったところで
言い訳とか、親に逆らうのか
そういう風に
取られてしまって
まともに、取り合ってくれない
親自身に、子供の声を聞こう
そういう心構えがないと
いくら子供が訴えたところで
聞く耳持っていないので
通り過ぎてしまう…
忘れてしまう…
子供にとっては気持ちが通じないまま
親にとっては
子供の気持ち掴めないから
『なんでだろう?』
わだかまり が生じたまま となる
何年も十数年も
お互いに
向き合う気持ちがなければ
ずっと
その状態が続いて
いつしか忘れてしまう…
それが理想かもしれない
心痛めた側にとっては
何かあるたびに
思い出してしまう
行動に結び付いた記憶
心の痛みが深く刻まれ、染み付いているので
それが
思い出そうとして
よみがえるのではなく
なんて言ったらいいのだろうね…
私の場合は、母の存在。
母のこと考えるだけで
よみがえってしまう
母と離れて生活していても
母のこと考えるたび…
どこにいても同じ…
この度、大阪行って
お互いに嫌な思いしたけれど
話し合えて良かった
それは
傷ついた
というものではなく
やっと
向き合って話が出来た
今後も考え方の違いで
食い違うことは
ずっと続くと思う…
だけど
向き合えたことで
一歩前進
前途多難だけど
頑張っていこうと思います
※画像は、大阪エキスポシティの所にある
『ニフレル』という水族館+動物園で
撮ってきた【ペンギン】の写真です。
室内なんだけど
日向ぼっこ しているような感じでした
この記事の最後まで読んでくださり、ありがとうございます
こんばんは。
ご心配してくださって、
ありがとうございます🙇🎵✨
大阪、今日過去最高だったの😱💦
ニュース見てないので
全然知らなくて💦
引っ越しの日取りは、
まだ決まってないですが
今月に引っ越しすることはないです😊✨
ですが、コロナが このまま
酷い状態が続けば
感染率は高まるばかり
どうにかしてーと、ほんと叫びたくなりますね😫
コメントありがとうございます😆🎵✨
頑張らなければ❗の一心で
半分、成り行き😅
母と向き合うことで、
母にとっても長い間抱えていた わだかまり
それが消えることで
母が思っていた疑問「なんで?」
気になっていたことが解消されたから
その後は、話しやすくなりました😊✨
ほんと、お互いのこと話せて
分かり合えて良かったと思います🎵
心優しい、お言葉に癒されます😍🎵💓
コメントありがとうございます😆🎵✨
立派だなんて
そんな大層なことしてないですよ😄💦
でも、そう言ってもらえると嬉しい
というか照れますね(*^^*)
母のこと考える度に、
記憶が結び付いてしまっているから
私も、嫌で嫌で会いたくない
だからpopraさんのお母様に対する お気持ちも
分からなくもないです。
辛い経験、たくさんあったんだろうなと
お察しします。
夫が仲裁になってくれていましたが
亡くなってから、私自身、変わらなきゃ!
避けてばかりいられない
そういう状況が突き動かしたって感じです😊✨
赤裸々に語って、
お恥ずかしい限りです_(^^;)ゞ
物事を理解するうえで
どうして、そう思うのだろう?
どうして、そう考えるのだろう?
何があったのだろう?とか
なんで、そういう考えに至るのだろう?
読んでくださる方の、
そういう気持ちを感じ取って読み取って
書いてしまいました😅💦
こんなこと書かなくても いいのに
と思えることも あるとは思います😅
「気持ちが伝わった」
それだけの言葉で終わるのも
良かったかもしれない
ですけどね😅✨
読んでくださる方にも伝えたい
そういう気持ちから
恥ずかしさ、通り越えて( ̄▽ ̄;)💦
大阪へのお引っ越しは いつ頃ですか?
大阪今日 過去最高でしたね。
とても心配です。
気をつけて過ごしてくださいね。
お互いのこと話せて二人の関係性が変化しているんですね
素晴らしい行動力だと思います
ただ、あんまり頑張り過ぎないで、ゆっくりゆっくりね
自分に優しく甘やかしてあげて下さい
私は、天国(地獄?😅)で再会したくはないなと思っていますから。
心の中を綴っていけるのも勇気があるなあと思いました。