まだまだ寒いですが、晴天続きで労働には程よい日々です。労働で思い出しましたが、以前伺ったとある事務所みたいなところで、目の前に本棚があったもんですが、すごい量ですねとお世辞を言ってしまいまして、まあ確かに量は多かった、そしたらその事務所の人に、君には難しいよ深いところで人生を考えてるから私はとかなんとかって言われました。並べてあった本はよく言えば心理学の類、フロイトはあったかどうかリビドーやユングやら私ですら知っとるのは無し。主たるのはこの20年くらいの教養本でしたね。それなりに小難しそうな教養本でした。深くないなあ。本読むのは人それぞれだけど、古典が本棚ないと恥ずかしいですよ、と言うのはやめて私は肉体労働者らしく振る舞うのでありました。一方で、別の場所で本棚に遭遇したときは、本棚の主に恥ずかしいから見ないでほしいと言われたことも。そういう人の本棚はさすがでした。たぶんに漫画が並べてあったから恥ずかしいということみたいでしたが、漫画の古典的重要作がしっかりとありまして、中にジョージ秋山があったのには感服しました。何を言いたいかというと、ようは古典は大事。呉智英さんがかつて東洋文庫がない本棚は・・・、とおっしゃってたのをあらためて思い出します。レコードもそう、古典は大事だなと。
ではレコードにとって、黒人音楽にとって古典とはなんぞや。教養本の類が何万冊あっても、ヒット曲の類のレコードは何万枚持つてても自慢するのは恥知らず。たしか何年か前に南米の金持ちコレクターが数十万枚のレコード自慢したら内容で他のコレクターに馬鹿にされてた。一方アメリカのど田舎の人知れないコレクターが死んだとき、家中所狭しと溢れてるレコードは大いに話題となった。ちょっと話がずれてますが、じゃあ恥知らずにならず立派な本棚いやレコード棚を持つにはまずは古典、黒人音楽の古典としての物差しはというと、これがなかなか難しい。ブラックミュージックディスクガイドなんかである程度は古典的名作は辿れるか。ブルース、ゴスペル、ロックン・ロール、このあたり入れたらどうなるのか。7インチや12インチ、ディスコ、このあたり入れたらさらにどうなるのか。レコード棚として考えたら、60年代モータウンがオリジナルで揃えてあれば痺れますが、スタックスじゃちょっと。7インチもヒット作ばかりだとちょっと。リニューアルしてからの私のレコード棚はもっぱらディスコしてます。こりゃ自慢できないなあ。
てことでくだらない事をダラダラ書きましたが取り上げたレコードは1979年リリースの7インチ、白人ファルセットシンガーのディスコもの。こないだプレイ。今月も配信頑張らないと。
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