gooチョキパ~!

日常の出来事や想いなどを綴ります。
気楽にお読みください。

かいふくするかぞく

2023-08-22 09:20:25 | チョキな話し

大江健三郎  言わずと知れたノーベル文学賞作家。
これまで、数多くあるその作品を読んだことはなかった。

友人宅にお邪魔してふと目に入った本「恢復する家族」というタイトル。
あ~その本、持っていっていいわよ・・・借りてきた。

読み進むうちに気がつくことが何点かあった。
  文章がやたら丁寧すぎ、独特の言い回しがまどろっこしい。
  難しい熟語や引用文が出てくるが、読めない部分はズルしてとばした。
例えば
  ○○するのらしい・・・という書き方
  この「の」は何のためなんだろう?
  「○○することのようらしい」の簡略形か?
  俗人・凡人の私は「○○するらしい」で十分だと思うのだが?

  悩んでいたのであったでしょう・・・という書き方
  「いた」と「あった」の過去形を重複させる必要はあるのか?
  「悩んでいたのでしょう」で十分だと思うのだが?

  ○○先生にめぐりあいえただろう・・・という書き方
   「出会いが得られた」ことを強調した書き方かも知れないが
   「めぐりあえただろう」と、普通だけど、それで十分ではなかろうか。
   その方が読者の深層をつき、より奥ゆかしく伝わると思うけど?

天下のノーベル賞受賞作家に対して何たる無礼を!
お許しくだされ、でも良いこともいくつか見つけました。
例えば
  フランスの哲学者 ジャック・マリタンの言葉
  習慣―ハビット(Habit)とは「らしさ」である。
  人の習性・習慣、信条・想い・スタイルなどを総合すると
  それはつまり「その人らしさ」となる。

  自分に当てはめて「後ろ指をさされないように」しなくては。

  「仕方がない、やるか!」の説明では・・・これは覚悟を意識する。
  やりたくないことや良くないことでも「やらねばならないこと」は
  覚悟をもって対処する「仕方なくではなく覚悟をもって!」

  あと、単なる友情ではなく、優しさを伴った「優情」とか。

  為になりました。

 書に戻ります、これは小説ではなくエッセイです。
 一貫して氏の息子 「大江 光の生き方」について綴られていく。

 光は脳に障害をもって生まれ、てんかんがあったり言葉の障害もある。
 ただ、小さい(3歳)頃からクラシックの音楽には敏感に反応し興味を示した。
 この息子への愛情と、支え方や苦労話が淡々と書き綴られる。

息子はピアノの良い先生と出会って作曲するようにもなった。
そして作曲した曲をCD化することになり、期間を置いて2枚作られた。
このエッセイの文面から「如何なる出来や?」と食指が動き、その2枚を買ってみた。




ある程度の予想はしてはいたが、期待にたがわず悪い方に的中した。
優しく静かで、邪悪な響きとか聞き苦しい音の展開や不協な部分は毛頭ない。

清流をスローモーションで奏でる音の流れのような・・・。
鏡のような水面をトンボがスイスイと浮き泳ぐような・・・。

ところどころにバッハやショパンの臭いを感じる部分がチラッとはあるけど。
聴き進むにつれて飽きてくる。けして天才的なメロディや音の並び、和声ではない。

先人の大作曲家たちにみる「個性的でハッとするようなひらめきやインパクト」がない。
つまり、一言で言うなら「聴きたくなる魅力的な華」がないのである。

ひたすら単調できれいな音の流れは聴くではなく「・・・ながらBGM」程度なら良いけど。

書の中で、どなたかが氏のお宅の郵便受けに投函された文章の紹介があった。
要約
  「もし、大江光が大江健三郎の息子でなかったら、CD出版やサントリーホールでの
   演奏会など出来たであろうか? 著名な音楽家や関係者の支援が得られたであろうか?」

  「世の中には相当以上の音楽レベルと知識技能をもって努力している優秀な若者が沢山いる
   そんな人たちは氏のような支援者やバックボーンがなく、同じように実現はできない」

  「多くの専門家が、大江光の作品をどう評価しているかご存知ですか?」

CDを聴いてみたから言えるのだが、まったく同感である。
私などもっとひどく言うと、思い出すにつれ「腹立たしさ」さえ覚える。

氏がこの投稿文を書き加えたのは、同じような懸念や否定できない思いがあったのだろうか?

本来なら
「お子様のご面倒と教育的な生活支援をされ、そのご苦労と愛情の注ぎ方に感動しました」とか
「良い書に出会い、良い音楽に癒されました」などと賛辞を贈るのでしょうが・・・。
私はどうしてもその方向に思考が向かうことはなかった。

この書を読んで、他の大江文学に更に接してみたいという気にもならなかった。

しかし、この記事を「チョキな話しやパ~な話し」ではなく「gooな話し」に分類することを
せめて私の「礼節を軽んじない」イヤな性格と笑って収めてください。



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