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「大平山への登り口①」下見のつもりが‥‥

2021-10-22 15:01:58 | 日記

毎日の巣ごもりで、運動不足が続いています。

我が家の二階から見える「富士山」です。

今日は天気も良く絶好の下見日和なので、富士山の眺望が素晴らしいという「大平山」(忍野と山中湖の間)へ登るための、登山口の下見に出かけることにしました。

地図上で登山口の検討はつくのですが、実際に行ってみるとその登山口がよく分かりません。表示板らしきものも見当たらないのです。見当をつけて車を停め、ちょっと歩いてみることにしました。

 

一応、町歩き用のリュックに水筒とお菓子を詰めて、登山口確認のために歩き出しました。お菓子は森永の「チョコチップクッキー」、これが実に美味しいのです

なんとか登山口らしき道を見つけ、ちょっと歩いてみました。どうやら、この道でいいようです。歩いているうちに吹く風が心地よく感じ、途中まで歩いてみることに変更です。

これが私の欠点で、流れに身を任せてしまう傾向があります。こうやって、私は人生のあっちこっちで進むべき道を見誤ってきました

[次へ続きます]


弁天公園の小さな坂

2020-05-09 19:13:04 | 日記

「五月」一年を通して、一番心地より季節になりました。(半年ぶりの投稿です。まったく、根性なしの性格で困ります。)

さて、我が家からさほど遠くない所に、「弁天公園」という、小さな公園があります。この公園の北側に、私のお気に入りの小さな「坂」があるのです。(写真奥)

この坂は西暦937年に流れ出した「剣丸尾溶岩流」の末端崖の一つで、「お姫坂」も同様にこの末端崖だそうです。それにしても今から1100年前、赤々と熱せられた溶岩がここを流れていたと想像するだけで恐ろしいことです。

この坂と公園の間に「宮川」という大きな川が流れています。その昔、春先には富士山から溶け出した雪代(ゆきしろ)で毎年のように土砂災害が発生していました。先人たちは、自然の厳しさと美しさを、今以上に身をもって感じ取っていたのでしょう。

道路の脇には、初夏の植物「カラスムギ」や「ツルニチニチソウ」が花を咲かせていました。

坂を上りきって、弁天公園を見下ろしたところです。

毎日多くの人が、徒歩や車でこの坂を行き交っています。私のお気に入りの小さな坂です。

 

 


「暮地の坂」

2019-11-07 14:57:44 | 日記
富士吉田で「坂」と言うと、ここを外す訳にはいきません。吉田の北の入り口「暮れ地の坂」です。


吉田の東側「丹沢山塊」と西側の「御坂山地」に挟まれるため富士山から流れ出た溶岩がここでせき止められ、ここから北側が急な坂になっています。

この坂を登ると、富士山が眼前に一段と大きく広がります。
かつて、松尾芭蕉も葛飾北斎もこの付近から見上げる富士山に心奪われ、足を休めたにちがいありません。
私も46年前、ここから目にした富士山は一生忘れられません。

「暮地」という名の由来については、文化11年(1814)に著された『甲斐国志』に「上下暮地本ト一村ニシテ西ニ高山ヲイタダキ其ノ山足ニ人家連ナリタレバ日光早ク暮ルル故ニ暮地ト名ヅケナルベシ」とあり、集落が山の麓にあって日が早く暮れるので「暮地」と名づけたと記されています。
(引用 富士吉田市歴史民俗博物館だより)


「お姫坂」の伝承

2019-11-07 14:54:26 | 日記
この「お姫坂」には、こんな伝承があります。
昔、このあたりにたいそう美しいお姫様がいたという。その美しさを見染め、付近の池の主である蛇が侍に変身して通ってくるようになった。


近くの寺のお坊さんが「あれは蛇だから、だまされるじゃねえぞ」と言ったのだが、お姫様はもう諦めることができない。とうとう蛇とともに池に入っていってしまった。それでその池を乙女池と言い、ここからお姫坂となったそうな。 『富士吉田の昔話・民俗・民話』より

私には分かりませんが、恋心とはこんなものなのでしょうね。なんとも、悲しいお話です。

これが「御姫神社」です。

2019-08-26 18:09:02 | 日記
十一段の階段を登ったところに、小さな「御姫神社」が現れます。


ご覧の通り、鳥居の扁額に「御姫神社」と記されています。

小さな小さな神社です。