「鹿行」と書いて「ろっこう」と読む。
茨城県の「鹿島郡」と「行方郡」(これは「なめがたぐん」と読みます)を合わせた地域の事なんですが、霞ヶ浦と北浦の間がその辺り。我が郷土です。
霞ヶ浦も昔は北浦に対して「西浦」と呼ばれていたらしく、お年寄りは今でもこう言ったりするので、どこの事かと一瞬頭がぐるぐるしちゃいます。
何でこんな事をいきなり書いたかというと、参加している「県民大学」の講座で、(茨城県と)このあたりの近代史を勉強しているからなのです。
今日もありましてね。
明治13-19年の頃の「県会」(県議会)についてでした。
現在も、解散後の選挙で郵政民営化が争点となっていますが、当時の茨城県は県西・県南の河川党と県北の山岳党が対立していて、それぞれ分県願いを出しては却下されていたそうです。
「茨城県(主に旧水戸藩・県北)」と「新治県(県西・県南)」が一つになって現在の茨城県になった経緯もあって、どうしても、しっくりいかなかったようです。
(鹿行地方は・・と言えば、地域としては「河川党」なのに、旧水戸藩の領地もあったりして微妙な立場。さぁ~どうするんだ!?)
対立の内容は、今となっては笑ってしまうほど「なんくせ」の付け合いなんだけど、もしかして今の国会あたりでも同じ事をしているような。
「賛成だけど内容がだめ」と反対している党とか、なんで協力して「もっと良いものにしよう」としないんだろう??
党派を超えて協力し合うというのは、今も昔も難しい事なのかもしれないけれど、自分の主張を優先したくて、それ以外に反対するというのは、時間も労力も無駄に思えてしょうがない。
今の世界は情報が充分あって、誰でも昔より視野が広いハズなんだから、もっと有効な事を考えられれば良いのになぁ。
・・以上、昔を学んで思った事。
いつの世の中もつまらないことで派閥を作って対立しちゃうんですよね~
本当に、どうしてみんなで協力していいものを作ろうとしないんでしょうか。。。
福岡も旧黒田藩の福岡市と旧小笠原藩の北九州市は意地を張り合っていますし^^;
そう思うと、長州と薩摩を協力させた竜馬ってすごい人だったんだな、なんて思います。
私もここに書き込み致しますね!
↑坂本竜馬!
私もそう思います~!!
実は去年の大河ドラマを見るまで、「何故薩摩が長州と手を結んだのか?」というのは私にとって、ものすごく謎だったのです。
(竜馬という人がどうしてもピンとこなくて)
でも、あのドラマを見て、竜馬の熱いハートがあったんだな~と納得したのです!
九州ではあの当時、実際にどんな事が展開されていたのでしょうね!!
歴史ってものすごくドキドキしますね!