あやめの里便り

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脚本「昔語り 芹澤鴨」に見る 本家出生説

2016-02-11 10:16:40 | 潮来・茨城の歴史

芹澤鴨には、「芹澤本家出生説」と「芹澤家分家出生説」があります。

震災の年に脚本を書きました「昔語り 芹澤鴨」では、真実の芹澤鴨像に迫ろうと「芹澤本家出生説」に則ってその生涯を追いましたが、疑問・不明な点も多々あり、そこをカバーし創作しなければ話を繋げられませんでした。(もっとも、お芝居とはそういうものですが)

まず、当時の日記記事へどうぞ。 → 『 「昔語り 芹澤鴨」の背景 

 

脚本を書くに当たって疑問となった事。創作した事。 そして現在までに解った事等。

○「延方郷校」か、「弘道館」か

「芹澤鴨(幼名 玄太)は15歳で延方郷校へ」というのは、脚本を書いた当時では当たり前に言われていた事なのですが、それには確証がありませんでした。延方郷校の生徒名簿等残っていませんし、「潮来で(下宿のように)お世話になって、延方郷校に通った」ともお聞きしましたが、潮来の歴史に詳しい方でそのような話を知っている方はありませんでした。潮来は幕末、太平洋戦争直後と大火があった街なので、日記等が現存している望みもほぼありません。

そもそも「芹澤貞幹三男『玄太』」は、存在そのものの確証が無いのです。なにしろ芹澤本家の家系図には載っていないのですから。

唯一、法眼寺過去帳にある「玄太」の文字も、今では「兵太」の読み間違いと判明しています。

また「芹澤鴨も弘道館で学んでいた」らしい、という事もお聞きしました。理由は「平間重助も弘道館に行ったから」。身分のはっきりしていた当時、「弘道館」で学べるのは「藩士」の子息だけです。芹澤鴨が芹澤本家出身なら郷士、平間重助はもしかしてもっと下の身分です。 果たして例外はあったのでしょうか。

○「俺を消してくれ」

玉造には「芹澤鴨」の幼少時のエピソードも面影も何も残っていません。だからこそ地元への「情」として語らせたのですが・・。

「消した」なら「消した形跡」が残る筈ですし、開発が進んだ地域ではないので、それでも残った「何か」が発見されても良いのではないでしょうか。

下村継次に関しては芹澤本家や芹澤鴨との関係がはっきりしていないので、あくまでも下村継次本人のエピソードに過ぎません。

○牢屋で優遇される?

京都での芹澤鴨の容貌。八木為三郎翁談「芹沢は背が高くでっぷり太っており、色白で目は小さかった。」

「浪士組」が京へ到着したのは文久3年2月23日。下村継次が釈放されたとされるのは、前年の12月末に近い頃。江戸へ出て京都まで歩き、京都でも何かと騒ぎを起す。次々と死人が出るような牢獄での境遇の後の容貌と行動でしょうか? 

回復があまりにも早過ぎるのが不思議なのと、牢獄での志士達の不遇さを表現したくて、脚本では、牢屋で優遇される(侮られる)エピソードを創作しました。以前にも書きましたが、現代人と比べると当時の日本人の体力・気力は超人のようなので、本当に「私的な」疑問箇所です。

 

その他「玄太」→「下村継次」を肯定したとして、婿養子に行ったのに何で実家に入り浸ってるの?とか、目に余るような悪さをしているのに、何で家族は何も言わないの? とか、素人ならではの疑問は何かとあります。

また「芹澤鴨は免許皆伝の剣の腕前」と言われています。剣については詳しくありませんが、免許皆伝ともなれば「○年○月○日、○○師から○○へ授けた」という記録が道場に残っていたりしないのでしょうか。

下村家は神官なので、婿養子後には神官になるべく修行をするのが普通でしょうし、その後は神官を務めている筈です。ならば、その前、15、6歳で免許皆伝になるのでしょうが、そんなものすごい使い手なら、道場でも地元でも「語り草」になっているのでは無いでしょうか? 

 

 

 

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「芹澤家分家出生説」が取り上げられるようになって以来、素人の素朴な疑問はそれぞれの説の研究家の皆様のお邪魔になるのではと控えていましたが、玉造隊のある方から「書いて良いんだよ」と背中を押して頂きました。

それまでは「尊王攘夷の志士が何故、幕府側の新選組筆頭局長となったのか」と、お芝居を通して、例えば心情等解る事は無いかと思いを巡らせていましたし、現在の(エピソードも、証拠もほとんどない)状況が不自然では無いようにと脚本を創作して来ましたが、昨年から「もしかして根本から違うのかもしれない」という展開になって来ました。

何度でも言いますが、私は「芹澤鴨の真実」が知りたい。

「芹澤本家出生説」「芹澤分家出生説」2つの仮説がある事で、今後も新たな発見、また論争がありましょう。切磋琢磨となって、「芹澤鴨の真実」に少しでも近づく事が出来ますようにと心から願ってやみません。


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