あやめの里便り

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戊辰前夜

2009-04-29 02:43:58 | 潮来・茨城の歴史

「嘉永6年~慶応3年」

「水戸尊攘激派」「天狗党」「芹澤鴨」「新選組」を重ねると、こんな年表になります。とりあえず、慶応3年まで。
「水戸尊攘激派」と「天狗党」を分けるのもどうかと思ったのですが、「筑波挙兵」に直接繋がらない(・・けど、流れはあると思う)、水戸藩士(浪士)が起こした大きな事件という事で。
*ものすごく大雑把なので、「ここはきちんと!」という所があったらご指摘下さい。(但し、関連がある範囲で)


1853  嘉永6年 

 6月 3日 浦賀に「ペリー来航」

1855  安政2年

10月 2日 「安政の大地震」藤田東湖・戸田忠太夫 圧死

1858  安政5年 

 4月23日 井伊直弼 大老に就任
 6月19日 「日米修好通商条約」調印
 8月 8日 「戊午の密勅」水戸藩へ
 9月 7日 「安政の大獄」始まる
10月25日 徳川家茂14代将軍になる

1859  安政6年 

 8月27日 徳川斉昭 国許永蟄居
12月    水戸藩尊攘派 長岡屯集

1860  万延元年 

 3月 3日 「桜田門外の変」 井伊直弼 暗殺
 7月     「成破の盟約」 丙辰丸にて、長州・水戸による幕政改革の密約
 8月15日 徳川斉昭 死去

1861  文久元年(万延2年) 

 1月      佐原で800両借用の証文に下村嗣次の名
 1月       「玉造勢」桜田門外の変・長岡屯集に関わった残党(大津之綱を中心とする一派)が小川郷校・玉造郷校へ屯集
 3月       幕府に捕らえられ入牢した「玉造勢」水戸浪人の中に下村嗣次の名
 5月28日 「東禅寺事件」

10月20日~11月15日 皇女和宮 中山道を江戸へ

1862  文久2年 

 1月15日 「坂下門外の変」老中 安藤信正 水戸浪士に襲われる       
 2月11日 皇女和宮降嫁 和宮と徳川家茂の婚礼が行われる
 4月23日 「寺田屋騒動」
 7月 6日 一橋慶喜 将軍後見職につく
 8月21日 「生麦事件」
閏8月 1日 松平容保 京都守護職につく
12月     下村継次(嗣次) 大赦により出牢 名を「芹澤鴨」と改める

1863  文久3年 

 2月23日 清河八郎・浪士組 京へ到着
 3月 4日 将軍徳川家茂 上洛
        水戸藩主・徳川慶篤 上洛
        慶篤について、藤田小四郎・田中愿蔵・林五郎三郎等も上洛
        桂小五郎・久坂玄瑞等と 京にて会合
 3月12日 壬生浪士組 会津藩お預かりとなる     
 4月13日 清河八郎 暗殺
 7月 2日 「薩英戦争」
 8月18日 「八月十八日の政変」朝廷から尊攘激派七卿と長州勢力が一掃される
        壬生浪士組「新選組」の隊名を賜る       
 9月13日 新見錦 切腹?      
 9月16日 芹澤鴨・平山五郎 暗殺
11月    水戸浪人 鹿島根本寺へ屯集(2~300名。4~500名とも)、尊王攘夷を盛んに唱える。
       水戸藩内各地の郷校にて、尊攘激派が屯集

1864  元治元年 

 3月25日 一橋慶喜 将軍後見職を免ぜられ、禁裏御守衛総督に就任
 3月27日 天狗党 筑波山挙兵
 6月 5日 「池田屋事件」
 7月19日 「禁門の変」(「蛤御門の変」)
 8月 4日 宍戸藩主 松平頼徳・大発勢 鎮撫の為、江戸を立ち水戸へ向かう
 8月~10月 天狗党・大発勢vs諸生派・幕府勢 那珂湊付近で交戦
 9月 2日 「天狗党 鹿島落ち」
        天狗党攘夷派(分派勢)が横浜を目指し、鹿島に屯集
 9月7~10日 「青沼村の戦い」分派勢は全滅
10月 5日 松平頼徳 切腹
10月23日 大発勢 降伏
10月        新選組に伊東甲子太郎が加入       
11月 1日 天狗党 大子村を出発、西上
11月16日 「下仁田戦争」 天狗党x高崎藩
11月20日 「和田嶺合戦」 天狗党x松本藩・諏訪高島藩連合軍
12月17日 天狗党 加賀藩に降伏


1865  慶応元年 

 2月 4日 武田耕雲斎・藤田小四郎 敦賀にて斬首(天狗党、総勢353名が死罪)
 2月23日 山南敬助切腹
 3月10日 新選組屯所を、西本願寺に移す

1866  慶応2年 

 1月        薩長盟約
12月 5日 一橋慶喜 15代将軍になる
12月25日(1867年1月30日) 孝明天皇 崩御

1867  慶応3年 

 1月     水戸藩主 徳川慶篤弟、 清水家当主 徳川昭武
        パリ万国博覧会に将軍慶喜の名代として、使節団を率いて約50日をかけて渡仏
 3月30日 伊東甲子太郎 高台寺党を結成
10月14日 「大政奉還」
11月15日 坂本竜馬・中岡慎太郎 斬殺
11月18日 「油小路の変」 伊東甲子太郎 暗殺
12月 9日 「王政復古の大号令」
12月18日 近藤勇 高台寺党残党により襲撃される

◎慶応4年(明治元年)~ の年表・・明治元年

 

*新見・芹沢鴨暗殺の日を玉造年表に合わせました。

*「成破の盟約」を加えました。 

*見直し。 「宍戸藩主 松平頼徳・大発勢」に関係する事柄は、「天狗党」より外しました。

 水戸藩主・徳川慶篤弟 清水家 徳川昭武のパリ万博博覧会派遣を加えました。

 明治天皇即位は翌年の慶応4年になります。大変失礼を致しました。。(H27,3,21記)

*一橋慶喜の禁裏御守衛総督就任 を加えました。

*解り辛い為変更しました。 「水戸尊攘激派」 → 「水戸尊攘激派」

*皇女和宮降嫁、「下仁田戦争」「和田嶺合戦」 を加えました。

*文久元年5月28日 「東禅寺事件」を加えました。文久2年12月「英国大使館襲撃事件」は間違いのようです。(H29,10,25記)

是非、併せてご覧下さい。

幕末水戸藩と天狗党 その1

幕末水戸藩と天狗党 その2



4 コメント

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ほう、ほう・・・ (ぽんた)
2009-05-05 02:24:02
私も繋げて考えた事が無かったので、「おお!」っと思いました。
鴨さんも出牢の時期と「浪士組」募集が重なりますね。
実は清河八郎は、潮来まで鴨さんに会いに来た事があるそうなんです。その時は会えなかったみたいなんですけど。
面白いでしょ?
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ふむ、ふむ・・・ (座長)
2009-05-04 22:41:07
これは、見事に並べましたね!
幕末って、当時の方々は真剣勝負だったのでしょうが、こうしてみると面白い・・・・
永久保存版にして勉強します。
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Unknown (ぽんた)
2009-05-01 11:23:25
薩摩と水戸。
古代からも繋がっていそうでしたよね。
「薩摩っぽ」「水戸っぽ」なんとなく性格も似てそうです。
どちらも長州にしてやられました・・苦々。

わ、朋。さん!
水戸の血も流れていらっしゃる?
茨城へは、「血」が呼んだのでしょうか!?
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Unknown (朋。)
2009-05-01 09:23:01
こうしてみると、幕末の薩摩と水戸の関係って良くも悪くも濃厚ですね。

薩摩の血が半分、東京の血が半分、水戸の血が1/4流れている自分って・・めっちゃ複雑ww
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