かすみがうら市歴史博物館
第40回特別展「伊東甲子太郎と幕末の同志」
会期: 11月11日(土)~平成30年3月4日(日) ※月曜休館(祝日の場合は翌日休館)
場所: かすみがうら市歴史博物館(〒300-0214 茨城県かすみがうら市坂1029)
新たに発見された伊東甲子太郎の直筆史料も展示されています。伊東甲子太郎が慶応3年(1867)8月8日に公卿である柳原光愛と老中板倉勝静に提出した「長州藩寛典建言書」の草稿史料です。
※以上の情報は「かすみがうら市歴史博物館」HPよりお借り致しました。
◇伊東甲子太郎
(1835-1867) 新選組参謀及び文学師範、のち高台寺党盟主。諱は武明(たけあき)。初名は大蔵。常陸志築藩士(郷目付)鈴木専右衛門忠明の長男として生まれる。水戸にて水戸学を学び、金子健四郎に神道無念流剣術を学んだ。江戸にて北辰一刀流伊東道場に入門、道場主の伊東誠一郎に認められて婿養子となり道場主となる。元治元年、近藤勇が礼を尽くして新選組に迎え入れるが、勤王思想の篤い伊東等は御陵衛士を拝命し新選組を脱退。後に油小路(「油小路事件」)にて新選組数名により暗殺される。近藤勇に招かれ、妾宅にて酒を酌み交わした帰り道の事であった。遺体はそのまま路上に置かれ、駆けつけた御陵衛士と新選組が壮絶な打ち合いとなった。
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