あやめの里便り

茨城県潮来市近辺の話題。

「常陸楼光子覚書」

2008年11月17日 | 舞台・映画(観るのも演るのも)
「常陸楼光子覚書」
日立本社演劇同好会「Say!」

昭和32年。茨城県助川町にある遊郭・常陸楼。
「売春防止法」の施行間近で、廃業が決まっています。
女将の光子は、働いている女性達が次の仕事に就けるようにと、あちこち探しているのですが・・。

舞台上正面には、「ひ」と書かれた暖簾のかかる入口。
暖簾はかなり大きいので、入って来るまでは足元しか見えない、秘密めいた場所に見えます。
なので、その向こうから女性の悲鳴が聞こえたりすると、なにやらイケナイ事が行われたのではないかと勘繰ってしまうあたりが、この場所のミョウと言うものでしょう。

「こちら側」と「あちら側」とを隔てる、一枚の布。

「こちら側」であっても、「1階」と「2階」とではまた隔たりがあります。
それは階段で。
2階は「お仕事」の場所なのです。
・・とは言ってもお仕事の場面は出て来ず、1階での会話でまあ、それらしい事は。

むしろ、女性達の生活とも言うべき日常が1階では展開されて行き、また様々な男性たちも登場します。

娘に、その幼い妹たちを寄こして金を無心する父親。
地元の組の親分。
刑事なんてのも出入りしますが、(言葉には出さないけど)情がある。
女将さんも「心付」を必ず渡しますが、それが通じない場合には「今日は止めとこう」

昔の日本人はカッコ良かったなぁ。

見終わって思ったのは、「どの人も幸せになって欲しい」というのと、この先にあるのは、きっと幸せな事ばかりじゃないんだろうな・・と。

女性たちはほとんど皆身寄りがない。
あっても頼れない人たちばかり。
話したくないような身の上では、きっと他人と心底打ち解けられる事もないでしょう。

それでも、生きて行く。

そんな覚悟が見えて来て、身の振り方が決まって「ほっ」としつつも、ちょっと哀しかった。

昔、「女郎」「娼婦」と呼ばれる女性がいた事。

これも忘れられた歴史のひとつ。


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3 コメント

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国文祭 (さいとう)
2008-11-17 23:49:16
小美玉の国文祭に行かれたのですね。
羨ましいです
ちょうどそのころ舞台づくりに励んでいたもので

遊郭、娼婦
映画舞台といまだに良く出てくる題材ですよね
それだけドラマが展開される要素がひじょうに含まれているわけで観る方も引き込まれてしまいます。
吉原が有名ですが、(私は行ったことがありませんが(汗))
最近では映画土屋アンナ主演の、さくらんなんてのを思い出します。男性の見方と女性からの見方の違いも詮索してみると面白いものです。
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なんとか (ぽんた)
2008-11-18 01:17:51
2日・3日は休みが取れなかったので、早く上がらせてもらって、最後の一つだけ見れました。

国文祭は予定が詰まっていて、参加していた人たちが他のものが見れない、というデメリットがありましたね。
舞台作りは本当に大変な頃だったんじゃないでしょうか。お疲れ様でした!

遊郭と言っても、昭和に入ってからですから、むしろ娼館とか赤線とか言われていたんじゃないかとは思いますが・・。
そうですねぇ。
男性と女性とでは見方が違うんでしょうねぇ。

潮来にも遊郭があったんですよ。
「客舟 夜泊巣す 常陸の蘇城」とあるように、ものすごく賑わっていたようです。
でも、その女性達はどこから来て、どのような最期を迎えたのかと思うと、とても辛いものがあります。

これもね、どうすれば報われるのかな・・と思うんですよ。
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もう (ぽんた)
2008-11-18 01:34:45
コメントって後から字が直せないから大変。

「客舟夜泊常陸蘇城」

これが本当。

「長勝寺」の鐘にある文字です。

このお寺には、騒動が起きる前に亡くなった天狗党の方や、遊女さんのお墓があります。
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