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2023/11/28

2023-11-28 04:33:17 | 日記
〘三島由紀夫 氏と『英霊の聲』についての所感〙
Voice of Heroic Spirits and Mishima’s Soul.

「などてスメラギは人となり給いし」
(Why Your Majesty fell to mortal Human ? !)
『英霊の聲』(“Voice of Heroic Spirits”)

「憂国忌」は過ぎた。本当はもう三島由紀夫 氏のことを書くのは止めるつもりだったが、人は時として長年の想いがまとまって閃くことがある。霊の働きかも知れない。一部の霊能者や占術師は三島由紀夫 氏には英霊が取り憑いたと主張した。おそらく、これが最後となるだろう。あまりに複雑な彼の心境や作品を、私の複雑な観念で表現すると話にまとまりがなくなり意味不明になろう。

 私自身は三島由紀夫 氏の良き理解者のつもりだか、良き理解者とは良き批判者だとも考える。三島由紀夫 氏は戦後民主主義の腐敗と将来の破局を身を投げ出して警告したのだと考える。彼の自死の衝撃は世界に拡がり危機の時代に甦る。人によって“命”の使い方は異なる。安易な批評は謹むとして、彼の文学と人生の自己完結は価値観の表現であると同時に救国の預言だったと思料する。

 おそらく英霊の方々が彼に想いを託したのだろう。昭和四五年(西暦1970年)は“未来”が明るく見えた時代だった。でも、いつかは危機の時代が来る。豊かさに浮かれていて良いのか?!現実に国際赤化共産主義の破壊策動は進行していた。いわゆる「七十年安保闘争」は日本を混乱させた。幸か不幸か日本の警察力は強大化し、大阪万博(EXPO1970)熱に浮かれて豊かさを謳歌した。

 しかし日本国民の平和ボケに極左暴力集団はつけ込んだ。日本の各界に反日左翼が浸透する。旧敵国だったアメリカの良心的な政治家、外交官、有識者でさえ不安を感じて困惑を隠さなかった。 
 
「一九四九年十月、日本のすぐ隣の中国に共産主義国家が誕生する。九月にはソ連が初の原爆実験に成功した。危険な予兆を感じたのか、マッカーサーは七月の米国独立記念日に
「日本は共産主義の防波堤である」
と演説している。彼の“転向”の始まりである。この年三月には米国デイリーメール紙のインタビューで、彼は
「日本を同盟国にするつもりはない、我々が望むのは中立を維持することである」
と述べていた。翌年正月の年頭所感に、マッカーサーは
「日本国憲法は自衛権を否定しない」
と述べた。」
(田中秀雄 著『日本を一番愛した外交官・ウイリアム・キャッスルと日米関係』芙蓉書房出版)
 
 アメリカ国務省次官として日本の立場を弁護したウィリアム・キャッスル 氏は駐日大使となる。
「キャッスルは野村吉三郎 宛の手紙(一九五◯年四月十日付)に、こう述べている。
「日本の若者の一人が私の友人に先頃言ったのは、日本は自発的に武装解除したのだから、世界で唯一の平和を愛する国であり、その目的は太平洋のスイスのようなものとして中立を守ることが、世界の国々を平和で誇らしい生き方に向けて導くことであると。これは完全なナンセンスです。なぜならどんな小さな中立の国も、ソ連や共産主義の波が打ち寄せるそばで独立を保てない。その影響下に入るだけです」
『占領史追跡』にあるパケナム日記(一九五◯年三月十八日付 手紙)を参照すると、「私の友人」とはパケナムで、パケナムが早稲田の学生が書いた平和の意見書を得たということらしい。」
「キャッスルは思いもよらない若者が日本に登場してきているのに危機感を持った。学生の主張の背景にあるものは一九四六年に出来たアメリカ製憲法である。」
(前掲『日本を一番愛した外交官』)

「彼は朝鮮戦争勃発翌日、六月二十六日付の野村への手紙で書いている。講和条約後、
「ある程度の規模の米国軍の駐留を日本が要求しなければおかしいでしょう。私が理解し得る限り、日本本土に米軍基地を持つことに私は熱心ではありません。もしそれが一時的な措置であるなら別です。長期的には、そのような基地は根深い苛立ちの原因となるだけだろうと私は思います。現在軍隊を駐留させる理由はそれだけで、むろん我々が日本を完全に非武装のまま、ロシアの攻撃に開けておくことは卑怯であり、全く不当なのです。」」(前掲『日本を一番愛した外交官』)

 アメリカ大使は日本の自主防衛、それをアメリカが助太刀するのは当然と考えた。日本はアメリカの属国ではない。日本の誇りある再軍備を援護すべきと考えた。対米依存体制も不健全だと…。

 日本の大学は左翼に支配され、極左暴力集団の巣窟となり社会秩序を攪乱して各界を汚染する。社会のデカダンス、背徳是認、エロ・グロ・ナンセンス、快楽至上主義の蔓延がそれを助成した。

 三島由紀夫 氏も初めはそんな世界に解放感を見出し、じっさい彼の作品の多くはデカダンス(頽廃)を是認していた。短篇作品の多くは運命をかけたことなら犯罪も何でもありかと解釈される。

 ただ彼は終戦時に成人だった。古い価値観を失ってはいなかった。ギリシャ神話の世界に憧れた。美学を極限まで追求する耽美主義者だった。エロティシズムを探究し、ナルシズムに陶酔はしたが、永遠に持続する“美”を探究した。美学を掘り下げた芸術家、文学者は歴史と伝統、故郷の風景や風情を愛する。そこに美しさを見出し、歴史意識の中での故郷に永遠の美を見出したのだ。

 三島由紀夫 氏をロマンティストと規定するのは躊躇いがある。彼は最期まで自分自身の立場をエロティシズムと主張した。森鷗外やドストエフスキーなどを推奨しながらロマンティストとは言わなかった。決起前にやや左翼的な文芸評論家の古林 尚(こばやし しょう)氏と対談し、自己の政治活動さえ“エロティシズム”だと強調している。古林 氏は戸惑い共和主義的なものではダメなのかと慎重に問いかける。これは対談の録音テープが書店で三十年ほど前に市販された。三島由紀夫 氏は、
「共和主義にエロティシズムなんか無いですよ」
と笑い飛ばす。では三島由紀夫 氏の尊皇愛国運動も楯の会も“エロティシズム”だったのかと呆れる方々は多いだろう。誤解されやすいし、三島由紀夫 氏自身も誤解されやすい作品や言動が散見されるが、エロティシズムはポルノグラフィーとは違い“美”の探究である。運命をかけた恋愛は讃美されるが、死をかけた忠誠、恋闕は神格化される。共和主義とは民衆の実利的な欲求から選ばれた指導者の政治であり永続性はなく、無限の忠誠の対象とはなりえない。よほどカリスマ的な人物でなければ魅力を保持しえない。現実に“共和国”はある時代の指導者、思想家を神格化しなければ国民を統合できないから宗教的権威を創生しがちだ。
常に外交的勝利を得なければ権威を保てない。

 歴史と伝統を愛する者にとって、その体現者は「神」である。神話の世界と人間の世界を繋ぐ立場、役割を果たされる皇室は神聖であり天皇は「神」でなければならない。永遠に持続する“美”を体現された方は世俗に塗れてはならない。絶対的な“美”への心酔がエロティシズムだ。

 遺憾ながらエロティシズムを性(Sexual)の表現とのみ解釈し、好色を“エロ”と揶揄、誹謗する思潮が強く、楯の会のスタイルがセクシーすぎることもあるし、三島由紀夫 氏の肉体美へのこだわりもあり、ポルノの題材にされたり、紛らわしい誤解、偏見を拡げる。説明に苦慮させられる。

 三島由紀夫 氏は人間の“死の衝動”こそが人間を人間らしくさせると考えた。確かに欲望の海に溺れたりユートピアの夢想を押し付けたりしては人間は狂いやすくなる。反日左翼、国際主義リベラリズムは狂った破壊活動をする。人間は獣化する。世界的に“人間獣化”が進行しつつある。

 彼の代表的戯曲である『朱雀家の滅亡』の最後の部分は当主の放言で締め括られる。
「私はもう死んでいる。」
幾人かの文芸評論家は朱雀家の当主のキャラの表現は“天皇”への批判だという。自ら“神”の座を放棄し、生きながらえた…婉曲な批判だというのだ。

 三島由紀夫 氏もその支持者の方々も「建軍の本義」を強調される。そこには立ち入らない。私自身はご皇室に“軍権”のご負担をお願いする気はない。むしろ日本の戦争史、軍事史を整理し、簡潔明瞭な「国防史」の整理が必要だと思料する。これを避けては、ご先祖の戦いの歴史が解らない。

 おそらくこれ以上は論じない方が良いだろう。三島由紀夫 氏の評論については筆を擱く。

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