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NTTの電柱を見ると、その上部にケーブル名を表示するプレートがついています。「杉田幹(線)」とか「森幹(線)」とか書かれているのは分かりやすいですよね。その地域の町名を利用しているからです。
しかし、電柱を見て歩くと、そんな簡単なケーブル名だけではないことが分かります。たとえば、「埋立支(線)」、「桐ケ谷支(線)」、「向生支(線)」、「君津支(線)」などいう不思議な名称がたくさんあるのです。
今回の発掘隊では、これらを見て歩き、そのあとは杉田劇場で写真や地図などを見ながら、ケーブル名から見える地域の歴史を学びました。
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しかし、こちらの「埋立」は昭和30年代のものではなく、昭和16年ごろの埋立地を指しています。
駅裏の工場地帯を眺めていると、てっきりこの辺りの埋立地に由来があるのだろうと思ってしまいますが、『磯子の史話』を読んだり、昔の地図を見て戦前の埋立に由来していることが分かったのです。
杉田と中原の町境に立つ「峰支(線)」と書かれたプレート。峰といったら円海山の近く、金沢区と接する町です。プレートの番号は名称として使われている町や施設などに向かって、数字が大きくなるように並んでいます。
峰支(線)もここから京急杉田第1踏切を渡り、浜中学校を経て笹下釜利谷道路へとつながっています。あのような遠方にある「峰」の名称を使ったケーブルが、なぜ中原から始まっているのでしょうか。
これはイベント当日に配った資料です。ここに昭和16年ごろの市営バス・市電の経路図が載っています。破線が市営バスのルートで、磯子から本牧方面、磯子から扇町方面、磯子から天神前方面の3本がメインだったようです。
それともう1本。杉田から峯(峰)へ向かうルートがありました。峰には円海山護念寺の「峰の灸」があったため、ここがドル箱路線だったようです。昭和30年代の写真が残っていますが、ご覧のようにたいへんな賑わいだったのです。
こういうことで、杉田から峰支(線)が始まっているのではないでしょうか。
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さて、この桐ケ谷とは、なにか? 長く地元に住んでいる方ならご存知でしょうね。磯子の昔の字名なのです。
当日配布の資料に昭和34年の住宅地図が張り付けられています。熊野神社のすぐ下に「桐ケ谷」という字名が。NTTのケーブルにつけられた「桐ケ谷支(線)」は、このあたりの字名にちなむものなのです。
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字名でもない、施設名でもない……。まったく謎のプレートですが、想像するに千葉県の君津に由来しているのでしょう。
横浜と千葉は東京湾を挟んで、いろいろとつながりがありました。本牧には千葉から来たお嫁さんが多いとか、ホンチというクモを使った遊びは千葉から横浜に伝えられたとか。
もしかしたら、このあたりに君津出身者が多く住んでいたのかもしれません。
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これは昭和34年の住宅地図。浜中学校の向かい側の丘の上に「貝塚」という字名が見られますね。この字名を名乗っているのが「貝塚支(線)」なのですが、そもそもこの字名が付けられたというのは、ここに貝塚があったからなのです。
『杉田東漸寺貝塚本発掘調査報告2』の中に貝塚の位置を示す地図が載っています。東漸寺付近だけではなく、杉田の高台、森町、屏風ヶ浦などにもあったんですね。
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さて、この向生病院はいろいろな興味深い歴史を持っていたようです。
下の写真は昭和26年3月に掲載された神奈川新聞の広告ですが、ここから未発見の写真などにもつながって来たのです。
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