下界の娘

全盛期

毒親で苦しんだけれどそれは父が急死してから解りはじめたこと。


自分はただのバカ正直者に育ったような家庭環境だった。
なぜ家庭環境と言い切るのか、母は全く違うから。
とても天邪鬼で全部  で返してくる。
とても面倒くさい。
あー言えばこう言う。




バカ正直に幼少期から育ってしまったのは
日本の社会にある組織、みたいな環境では無かったから
本音と建て前、裏腹な気持ち、
そういう事から無縁でいたのかもしれない。


そっくりそのまま感じたことを発し、
人がどういうつもりで発したのか考えることも感じる事も無かった。
そっくりそのままというのは
目について感じたこと全てなので、相手からしたら不快なこともたくさんあっただろう。
学んだはずなのに本音と建て前が今でも苦手。


幼少期にアルプルの少女ハイジみたいだと言われたことがある。
[そのまんまの姿][天真爛漫]と捉えられていたのだろうか。。。
(でも確かハイジもなんだかんだ鬱状態になるときがあったはず)

幼少期はそれでいいけれど、学生時代は相手を不快にさせてたこともあっただろうから今思うと恥ずべきこと。


でも父が急死して全てが変わって
深い悲しみと
毒母との戦いで
繊細で、ガラスのように繊細に、闇(病み)を持ってしまった。


だからその繊細さは、後天性のもの。
そう思っていた。
でもよくよく考えたら先天性だった。
初めての小学校登校で電車で吐いたり酔ったりして父と電車を降りた。
大人とは目を合わせられなくてつむったまま父の背後に隠れた。
姉は大人とすぐ溶け込んで遊んでもらったりしていた。
14年通った学校が終わった翌日、粉瘤ができた。
昔から、小さい時から、神経質で繊細だった。


だから先天性のもの。自分の性質。性格。
ただ父の急死と母親とのことで輪をかけて酷くなった、のも事実。


でもアルプスの少女ハイジみたいな天真爛漫な時期も確かにあった。
青春期にも成人期でも全盛期があった。
今も幸せだけれど悩みがつきなく、闇がある。

一点の曇りも無い、悩みも不安も抑圧も社会もなんにも無い時期。
明るく楽しく無条件に愛された時期。神経質さは問題にならない時期。
それはつまり = 2歳から5歳までの4年間。
それが全盛期。

がめつい性格ではないのは最高な幼少期だったからかもしれない。わからないけど。


父ももしかしたら幼少期が一番だったかもしれない。
仕事が安定してたとしても子供が可愛くてしょうがなくても楽しい趣味があっても
それ以上に大黒柱として大変だっただろう。

パパには夢でしか会えない。


それぞれに思う本当の全盛期っていつだろう。



毒母持ち。パニック障害。人や世の中の闇・真理までわかる。心の闇を・・吐き出してみる。【闇ブログ専用】

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