ーここは自分の闇を吐き出す闇(病み)ブログでありますが、
今日は特にネガティブな内容を書いています、嫌な方は避けてください。ー
今日は特にネガティブな内容を書いています、嫌な方は避けてください。ー
私の手を止めたもの。
2つある。
先に言う、 私の手を止めたのは【猫】。
もう一つは、【母の思うつぼ】になるから。
もう一つは、【母の思うつぼ】になるから。
物理的に母と暮らしていた時、(ひとり暮らしができない状態でアウトな人間ですね)
八方塞がりになるほど責められ罵られた時が何度もあった。
喧嘩の始まりは私が思わずそういう事を言わないでほしい的な発言をした時、
八方塞がりになるほど責められ罵られた時が何度もあった。
喧嘩の始まりは私が思わずそういう事を言わないでほしい的な発言をした時、
あとはいつも何がきっかけか、本当にさっぱりわからないくらい母の気分、母の私へのマイナスな感情からくるいきなりスイッチが入りケンカになる。
本人はただのケンカのつもり??のようだ。
本人はただのケンカのつもり??のようだ。
とにかく始まったら止まらない。
私にも熱が入るに決まってる。黙っていれば終わるかもしれないと何度か試したが、変わらなかったし、
勝手に話させておけばおくほど
なんだか全然娘のことをわかっていなく、そりゃ黙ってはいられなくなる。
勝手に話させておけばおくほど
なんだか全然娘のことをわかっていなく、そりゃ黙ってはいられなくなる。
そして言い返すと必ず言われるのは
「親を親と思っていない証拠だ」
酷いのは、罵るだけでなく、脅してくる。
だからどんどん追い詰めらる。。。。。。
頭がおかしくなる。
ノイローゼになりそう。
壁に自分の頭を打ち付けた、おかしくなりそうで痛みでごまかしたかった。
いつものケンカの時、終わりがくる前兆は、母が最後自分が子どもを望んでいたこと、子どもがかわいいに決まってる、そんな自分が何をしたんだと号泣する。
これは最後は自分は可愛そうであり、暗に私に罪悪感を抱かせるため。
これは最後は自分は可愛そうであり、暗に私に罪悪感を抱かせるため。
(共依存のやり方なので注意です)
そして号泣してタバコを吸って自分は落ち着いたら
そして号泣してタバコを吸って自分は落ち着いたら
「じゃあ外にご飯を食べいこう」という。
魂も肉体も疲れている自分はそんなの行きたいわけない、
魂も肉体も疲れている自分はそんなの行きたいわけない、
食べたくない、恐怖でしかない。
でもそれを断るとまたケンカが始まるのなら、物理的に一緒に暮らしてる身は、言う事をきくしかない。外食は本当に辛かった。場合によっては外食先レストランでキレることもあった。
しかも手が込んでいるのが娘にいじめられてるかのような構図。。。
しかも手が込んでいるのが娘にいじめられてるかのような構図。。。
この流れがケンカ終わるまで。
ある日あまりにも酷く、
泣きながら
こんなに心の虐待が酷いのなら
泣きながら
「もうその手で殺してほしい」
と頼んだ。包丁を母に無理矢理でも持たせて、今私を殺してほしいと。
でも母が包丁を握る訳がない。
だって常に自分が加害者にならない事だけに重点を置いて生きているのだから。
だって常に自分が加害者にならない事だけに重点を置いて生きているのだから。
被害者になるように設定されてる母が私を肉体的に殺してくれるわけない。
だからこそ、母に無理矢理握らせて加害者にさせたかった。
それが私の気持ち。
でも、過ぎる気持ちがもう一つある
自分が母の首を締めたくなったこと。
全く収まらない口を、罵倒してくる口を、ノイローゼになりそうな娘を見てなんとも思わない追い詰める母の口を、止めるには首を締めたいと衝動になる。
全く収まらない口を、罵倒してくる口を、ノイローゼになりそうな娘を見てなんとも思わない追い詰める母の口を、止めるには首を締めたいと衝動になる。
わからない人にはわからないだろう。
母の首を締めたいという衝動を最終的に思いとどまらせたのは、
本当に母が被害者になってしまうこと(私は加害者になり、母に同情が集まる)
本当に母が被害者になってしまうこと(私は加害者になり、母に同情が集まる)
私が今ここでやったら、猫に会えなくなること
自分を止めたのは冒頭で言ったこの2つ。
でも本当は母に肉体的にやってもらうことだったけれど。
私はやらなかった。ノイローゼになりそうな頭で考えた思いとどまらせたもの。
思うだけなら自由だ。
それでも私は犯罪者になり得る危ない奴で白い目で見られるのだろうか。
世の中の全ての人は犯罪者予備軍ではあるとは思ってる。(日常のちょっとした事がきっかけで、誰でも起こりうる。なんでも)
もう少しでなにかのタガがはずれたら、と思うと
人はなんにでもなってしまう。
そしてまた周囲がそう作り上げてしまうのも事実。
世の中の全ての人は犯罪者予備軍ではあるとは思ってる。(日常のちょっとした事がきっかけで、誰でも起こりうる。なんでも)
もう少しでなにかのタガがはずれたら、と思うと
人はなんにでもなってしまう。
そしてまた周囲がそう作り上げてしまうのも事実。
子どもが欲しくて熱望している人はいつの時もいっぱいいるけれど、それならなぜ子供と向き合ったり、一緒に居ようとしなかったり、寄り添う事ができなかったり、老後を見てもらう事をばかり心配したり、孫が欲しいと言ったり・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分だって子どもの時期があったから理解出来るはずなのに
無償の愛を持ってこそなのに