鎌倉時代は夫が妻を訪ねる通い婚であったから父の兄弟が何人だったかハッキリしないそうな話を聞きます。しかし確かに年上の兄で範綱卿よりも上だったもう一人の伯父、宗業はとても力になった方のようです。
勉学に励み文章博士となり後鳥羽上皇に重用されました。親鸞聖人が越後へ流罪となったとき宗業卿は後鳥羽上皇に頼んで越後の権の介となって流人生活をサポートしています。
鎌倉時代は夫が妻を訪ねる通い婚であったから父の兄弟が何人だったかハッキリしないそうな話を聞きます。しかし確かに年上の兄で範綱卿よりも上だったもう一人の伯父、宗業はとても力になった方のようです。
勉学に励み文章博士となり後鳥羽上皇に重用されました。親鸞聖人が越後へ流罪となったとき宗業卿は後鳥羽上皇に頼んで越後の権の介となって流人生活をサポートしています。
基礎的要素として親鸞聖人の家庭環境を見ておきましょう。
父・日野有範卿の長兄の伯父=日野範綱卿(歌人・後白河上皇側近)は親鸞聖人を青蓮院へお供した方。慈円慈鎮和尚とも交流がありました。鹿ケ谷の陰謀(1177)で捕らえられ播州方面へ流罪となりましたが、のちに復帰しています。聖人の得度は1181年ですが、この年の3月20日に平清盛が没しています。
範綱卿の弟である伯父は日野宗業卿(文章博士・後鳥羽上皇の近親)
母=吉光女(学説や定説は未だありません。源義経の従姉妹という説も囁かれています)
最近では筑波大学の今井雅晴氏が東国真宗研究所を開設して所長の論文をYoutubeで発信されていますから、多く引用させていただきましょう。