先日「おかげさまで12周年」の記事を投稿していて
今回は、「電気関連の仕事を始めて50年」です。
1956~7年 ごろ テレビはなく
家には ラジオ(電蓄:電器蓄音機)が ありました。
夏休みになると、両親が床の間に置いている ラジオ付き電蓄?を
縁側に出し、朝 小学生が家の前の空き地でラジオ体操をしていました。
その当時、ラジオは真空管式でよく故障をしており、その度に
隣町で、国鉄(現JR西日本)に勤めていた親戚のおじさんが
仕事前か終わってから修理に来てくれていました。
この時、「このおじさんはすごい!、ラジオを簡単に修してる」
「大きくなったら、こういうことが出来たらいいな。。。」
と思っていました。
これが、電気・通信 とのかかわりの始まりかも?
1961年ごろ ゲルマニュームラジオと出会う。
電気も電池もないのにラジオ(ラジオ関西)が聞ける。ふ・し・ぎ・・・
1962年ごろ ゲルマニュームラジオはなぜスピーカーから聞けないか?
スピーカーから聞こえるトランジスタラジオを作る。
(駅ビル:「つばめや」模型店でキットを購入し組み立てる)
1966年 高校に入学。
電気のクラブ活動に入部
真空管式高一中二(高周波1段・中間周波2段増幅)
シングルスーパー受信機を作る。(今はありません)
遠距離の放送局の放送を受信するBCLにはまる。
BCL:受信報告書を放送局に送ると、確かに放送を聞いたという証に
ベリフィケーションカード(べりカード)が送られてきます。
これはその当時のべリカードの一部です。
JOHR(北海道放送) 日本短波放送
どうすれば、雑音を消して遠くの放送を聞くか、
改造に改造を重ね、深夜放送をよく聞いていました。
アマチュア無線の資格を取り、無線局を開局していました。
50MHz用 トリオ(現在のケンウッド)TR-1000(1W)です。
夏場、イースポ(電離層での電波の反射)が発生すれば、
九州・北海道とも交信ができました。
(故障していますが捨てられず、今も置いています)
最近の車は、コンピュータで制御しており車載している無線機の出力で
制御不能? も怖いので この後、自分で買った
無線機やアンテナは全て処分しました。
JA3 のコールサインなので 5年毎の更新をしています。
先日、高校時代の友達が「無線局の更新時期やで・・・」と
メールをくれました。
その当時の QSLカード(交信証明書)
1969年 大学に入学(電気工学科)
アンプを自作(写真はありません)
下宿には、先輩から譲ってもらった白黒テレビを
修理しながら見てました。。。
1973年 4月2日(1日が日曜日)
化学メーカーに就職 電気関係の部署に所属
ここから、50年です
電気関係の部署を数か所 移動
1974年~ 乗ってた車
5速ミッション車
ライト点灯時ニュートラルにし2秒?経過すれば、
前照灯を消したり、暗くなれば 自動点灯 等
電気関係の改造をしてました。
当時は取説に電気配線図が記載されており、改造しやすかった。
2003年~2010年 乗ってた車
メッセージ表示器 取付け 運転時間計取付け
アマチュア無線器 車載
子供にも手がかからなくなり、色々愉しんでました。
2011年 サラリーマンを定年退職し、電気関係の 個人事業を開設
12年経ちました(先日の12周年です)
50年も 電気関係の仕事を続けられると思っておらず
ここまで続けられたのは
家族、先輩、同僚、友人、客先‥など 色んな方の おかげです。
松下幸之助 語録に
「私のこれまでの人生というものは、さまざまなことを教えてくれた
多くの人々の「一言」によって支えられ、成り立っていると
言っても過言ではありません。」
立派な方の言葉を使うのはどうかと思うのですが・・・
同じですね。。。