京の一枚

京都 鞍馬寺(義経祭) 15日


平安時代末期の武将・源義経(幼名牛若丸)を偲ぶ法要です。


義経が7歳の頃から約10年間を過ごした鞍馬山中には義経が天狗僧正坊に剣術を習ったと言われる僧正ヶ谷や、道場であった木の根道、牛若丸背比べ石などゆかりの地があります。


法要後、本殿前にて行われる鞍馬流居合術の演舞に、思わず牛若丸の姿を重ねあわせてしまいます。


彼の御魂は鞍馬山に戻って遮那王尊となり、護法魔王尊の脇侍として、奥の院の義経堂に祀られているといいます。










牛若がこの鞍馬寺に入ったのは7才の時であった。


四才で母常磐と離された牛若は、義朝ゆかりの者の住んでいた京都山科に暮らしていたが、母の配慮もあって、やはり義朝の祈祷の師であった鞍馬の別当、東光坊の阿闍梨蓮忍(れんにん)の許(もと)に預けられた。


この真意については、「義経記」だけではなく、「平治物語」や「吾妻鑑」にも同様の話が記載されており信憑性は高い。


鎌倉史の研究者である安田元久氏も、「事実とみてよい」としている。


この東光坊連忍師こそが、鞍馬山の天狗だったかもしれない。


すなわち後の世の芸術家の脚色と民衆の想像力によって、牛若に剣術、兵法などの妖術を教えた鞍馬天狗となって伝説化されたものであろう。
 
鞍馬という地名は、文字通り、「暗いところを意味する闇部(くらぶ)・暗部(くらぶ)といった言葉から転化したものといわれる。」(日本の国宝13鞍馬寺他)また一説に、天武天皇が大友皇子と合戦した壬申の乱の折、天皇がここに逃れて御馬の鞍を下ろさずに繋いだので鞍馬とも伝えられる。








寺の由来


正しくは松尾山金剛寿院と号し、鞍馬弘教の大本山である。


縁起によれば、奈良時代、鑑真とともに来日した鑑禎(がんてい)が、宝亀元年(七七〇)正月四日初寅の夜、霊夢によってこの地に来り、毘沙門を感得して草庵を結んだのが、当寺の起りといわれる。


延暦十五年(七九六)桓武天皇は藤原伊勢人(いせと)に命じて、皇城鎮護の道場として伽藍を造営せしめた。


いらい朝野の信仰はふかく、白河・後白河法皇の御幸も行なわれた。


しかし度々火災にかかり、往時の姿は失われたが、豊臣・徳川氏の保護をうけ、明治五年に現本堂も再建された。


当時の古い由緒を伝えて、本尊毘沙門天(国宝)はじめ彫刻や古文書の寺宝多数を蔵している。


山内は牛若丸(源義経)ゆかりの伝承地が多く、仁王門から山上への坂道は「枕草子」に記されている「つづら折」である。


現在、鞍馬仏教の中心として参拝客は多く、祭礼のうち六月二十日の竹伐(たけきり)、十月二十二日の火祭はとくに有名で、多数の参拝客でにぎわう。










■場 所: 鞍馬寺


■期 間:9/15(※毎年同じ日程です)


■時 間: 法要:11時~


■料 金: 300円(愛山費)


■アクセス: 京阪「出町柳」駅より 叡山電鉄「鞍馬」駅


■お問合せ: 075-741-2003


※主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。









京の一枚
京都四季折々・祭り その他

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「京都旅行」カテゴリーもっと見る