のんびり日本人の、のんびりブログ!

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今年の台風の当たり年は安倍政権のせい?!

2018年10月01日 20時00分00秒 | 評論
今年は台風の当たり年であり、「災害の年」である。台風では土砂崩れ洪水、樹木や電信柱の倒壊、関西国際空港では連絡橋に貨物船が激突するなどの被害が多発、胆振東部地震も発生した。それは安倍政権のせいなのだろうか?

 私は安倍政権をかばう気はサラサラない人間であるが、この「天災多発は安倍政権のせいニダ」説は、支那國の「天の思想」であり、日本の自然に即した思想とは相反する思想からくるものである。要するに日本人の頭の中が既に、支那國の「天の思想」に入れ替わってしまっていることになる。日本人が支那人化してしまったということである。これは恐ろしいことである。

 では、なぜ、このように安倍政権になってから、自然災害が多発するかを紐解いていくことにしよう。簡単な話である。キーポイントは「伊勢神宮の式年遷宮」にある。伊勢神宮の遷宮は自然のサイクルの変わり目の時期によく行われる。要するに、日本の場合は20年に一度の割合で自然のサイクルが変わるということを物語っている。要するに、伊勢神宮の遷宮は自然のサイクルが変わる合図でもある(もちろん、政治の面においても自然のサイクルに合わせて激動の年もあれば、良い安定した年もある)。前回、遷宮が行われたのは、確か平成25年(2013)である。その2年前の2011年に東日本大震災が発生した。



 この式年遷宮という伝統行事に関して、伊勢地方に伝わる秘められた古言がある。民間伝承の部類に入るのであろうが、簡単に言うと、「二十年ごとの式年遷宮により世界が変わる」というものである。

 伊勢神宮の御殿地は、東西に分けられた矩形の敷地であって、東方を「米の座」、西方は「金の座」と呼ばれており、それぞれの座にあるとき世界はそれに応じた特徴の時代になると語り伝えられている。具体的には、「米の座」にある二十年間は豊穣と平和の時代になり、「金の座」にある二十年間は、世界が動乱と相克の時代になるという。前回の式年遷宮は、1993年であり、それから二十年間は「米の座」にあった。豊穣と平和の時代であったが、今回、2013年に行われた遷宮では「金の座」に移ったということは世界が動乱と相克の時代になると、伝承は伝えている。この遷宮の他にも表に出ない、目に見えない形での本当の遷宮が行われた。これは今までとは違う方向に気が変わっていくことを意味する。「火の宮」から「水の宮」に遷宮が行われたのである。要するに「火」の安定性の時代から、「水」の流動性の時代に変わるということを意味している。



 「水の宮」とは何か?要するに「水」=流動性を表し、雨を表す言葉でもある。気候の変動により大雨が降るという状況に我が国はこれからシフトしていくということを意味している。更にこの流動性の意味を紐解いてみると、表の遷宮では「金の座」に移っているということで「お金」が出てくるということを意味する。いま日銀が何故に歴史的な異次元緩和をやっているのかということである。

 明治以降の「国家神道」は残念ながら本当の神道とはかけ離れてしまっている。本当の神道とは自然をしっかりと観察しながら、その周期的な現象の中で我々自身の個人のあり方、社会、国家のあり方を、自然の周期に合わせて運営していくということである。とうとう現代に生きている日本人もそのことをすっかりと忘れてしまっているようである。

 要するに安倍首相はちょうど「水の宮」「金の座」の真っ只中に内閣をやっている内閣ということであり、「天災多発は安倍政権のせいニダ」説は、支那國の「天の思想」で物事を考えているのであり、本当の神道の考え方からすると間違いである。


参考資料:[日月神示]神か野獣か!魂の超選択 中矢伸一 徳間書店より
     原田武夫国際戦略研究所 2018年7月4~7日に重大決定。何が決まったのか(原田武夫の道中辻斬り)youtube動画より:

拉致問題の解決が最優先ではないのか!(米朝首脳会談後の河野洋平氏の東京講演関する一考察)

2018年06月28日 12時30分00秒 | 評論
 拉致問題について、まずは、全力で取り返すことが優先であり、日本国民の間では、これは思想に関係なく共有されるべき事項である。この共有される事項において「武力を持ってでも取り返せ!」「なんとか交渉を持って解決できないものだろうか?」という意見があっても当然良いことであるが。この最優事項に関して異論を唱える声があることも事実である。

 例えば、河野洋平氏の拉致事件に関する言及について、河野洋平氏は米朝首脳会談後の都内での公演で「拉致問題という大変難しい深刻な問題があるが、国交も正常化されず、植民地問題も処理できてない国に対して、ただ『返せ、返せ』とだけ言っても解決しない。国と国との関係を正して返してもらう手順を踏まざるをえないのではないか」と言う論を展開して、日本のメディアも日本のメディアでそれを取り上げて報道されている。


「北朝鮮にもお詫びを『返せ』だけでは解決せぬ」河野氏 (2018/6/13 NHK政治マガジンより)



河野洋平元衆議院議長は東京都内で講演し、北朝鮮による拉致問題について、国交正常化を先行したうえで解決に取り組むべきだという認識を示しました。
この中で河野元衆議院議長は、米朝首脳会談について「話し合いが行われたことで平和が近づいてきたと感じた。意味はあったし、大変なことだった」と評価しました。

続きはこちらで…
(2018/6/13 NHK政治マガジン「北朝鮮にもお詫びを『返せ』だけでは解決せぬ」:https://www.nhk.or.jp/politics/articles/statement/5486.html)


 河野氏のこの言及に関して、拉致問題を「大変難しい深刻な問題」と言及したことには一定の評価はできるが、しかし、この戦後行われた北朝鮮による拉致事件に関しては、河野洋平氏には申し訳ないが「拉致被害者の早期奪還」が最優先事項であって「日朝国交正常化」はその後の話ではないであろうか。この問題は,北朝鮮が関与した「拉致事件、誘拐事件」であり、主権の一部を強奪された重大事件であると私には考えられる。

 北朝鮮の拉致事件について、日本国憲法第一条において「国民主権」が唱われているということは、国家の主権者たる国民が北朝鮮に拉致されることにより一部奪われたことになる。要するに国家の一部主権が機能不全に陥っていることになる。更に日本国憲法第十三条においては「国民の幸福追求権」の一部侵害されたということに相当する。第九十八条第一項(国家の最高法規)第二項に関しては、現行憲法における「法の支配」の執行能力が一部機能不全に陥っているということになるのではないか。拉致被害者のご家族に関しては胸の張り裂ける思いであろう。もし、この拉致被害者の家族の中に河野洋平氏のご子息である河野太郎氏が含まれていたらどのようにこの拉致問題を捉えていただろうか。今存在する拉致被害者のご家族と同じ「早く取り返してもらいたい。早く解決してもらいたい」という思いを抱くのではなかろうか。

 河野洋平氏の北朝鮮に対するいたわりと優しさ、それに現行憲法九条による戦争放棄条項による武力の制約もあり、外国に関しては外交交渉において常に不利な立場に立たされている日本の現状に対する河野氏の言及はわからないものでもないが、河野氏の講演に関する言及は、河野氏の念願である「日朝国交正常化」が目的のようになってしまっていて、北朝鮮のプロパガンダを流していると取られかねない発言になってしまっているのではないか。これはいただけない。

 それに日朝国交正常化すると韓国と結ばれている「日韓基本条約」に抵触する可能性があるということも指摘して置かなければならない。日韓基本条約では「大韓民国を朝鮮半島の唯一の合法政府と認める」とある。もし、北朝鮮と国交を結んでしまうと朝鮮半島に合法政府が2つ存在することになってしまう。北朝鮮と国交を結ぶとなれば、日韓基本条約を「国際条約事情変更の原則」により一端破棄をして、韓国と新たに国交を結び直さなければならなくなる。河野氏が言う「日朝国交正常化」は、日本国に「条約破りをやれ!」と言っているようなものではないか? この条約、どうするの?

 「日朝国交正常化」を「する」も「しない」も「日本の植民地支配(?)の精算」も、この拉致事件が解決した後の問題であって、まずは拉致問題の解決が最優先事項であるということを河野洋平氏には、肝に銘じておいてほしいものである。犯人側のプロパガンダ的な発言はやめてもらいたい。そして、日本のメディア側も国民を拉致事件の解決の方向で一つにまとめてもらって、北朝鮮に対して「拉致被害者を早く返せ!」という方向で政府に圧力をかけ、北朝鮮に迫るべきときではないのか。

 日本政府においても、関する拉致事件を解決しない場合は日本国憲法の第一条(国民主権条項)、第十三条(幸福追求権))、第九十八条第一項(国会の最高法規)、第二項(国際法の尊守)違反をしていることになり、現行憲法の「法の支配」及び「国際法の法の支配( 国際法が各国に定める義務の一つが「国防の義務」である)」の義務を怠った尊守義務違反であると考えられる。日本政府にもこのことは反省してもらいたいものである。

 拉致被害者のご家族に関しては、既に他界した方もおられ、現在活動されている方々もご高齢の方が多く存在している。日本政府には辛いことを言うようであるが、この拉致事件に関しては、北朝鮮が何を言おうが「心を鬼」にして、全力で早期に解決してもらいたい。