バッサリ斬り棄て、進撃のマダム!へ

大人になり過ぎて気付くことがある。老いを恐れず、今迄積み上げて来た自分から更に素敵マダムを目指すためのエクスポート。

展覧会:われらの時代のサイン を訪れて

2022-08-09 10:10:00 | 日記
初めまして!
思いつくままに思った事を書き綴りたい気持ちが広がり、もはや終活的な行動なのかもしれないと考えながらも、この心理を探求してみたいと思います。
Let’s get started.

仕事帰りにRyan Gander(ライアン・ガンダー)というUK出身のコンセプチュアルアーティストの展覧会に寄った。
彼についての前情報は何も持たずに、軽い気持ちで気が向くままにふらりと訪れたのだが、実に面白かった。
特に解説がなかったとしても、作品の一つ一つから時間への意識を受ける。
自分が生きてきたこれまでの時間、今を生きるこの時間、そしてこれから先の時間。
作品は様々な解釈ができ、常に意識はしなくても確実にそれなりの時間が存在し、そこにあえて注目する作品には、多くの気づきがあった。
入館から閉館まで2時間以上あり余裕だろうと構えていたが、時間は全く足りなかった。恐らく、いやきっと、また会期中に再訪すると思う。
 
Web決済、電子マネー、キャッシュレスが日常的な昨今、クレジットカードを使うことも普通なことであり、交通定期券も職場のIDカードも家の鍵もカードになる時代だ。
平成前期までは、本人の要望に関係なく新入社員はグループ会社や取引先とのお付き合いなどでクレジットカードを作らされたものでカードを持っていても「私は現金主義なので使わない」とか「使い過ぎが怖いので使いたくない」という人もとても多く「俺は、現金主義なんだ」という男性の方が、経済観念があるとモテる様な時もあった。ポイント付与、年会費徴収が普通になり、スマホ普及であっという間に時流は変わった。
セルフィーにしても、「ナルシスト」と嘲笑された時代もそう遠い昔のことでないのだが、ここ数年のSNSの普及でそれも今では違和感無い人が大半だろう。そんなSNSでは他人のなりすましが問題視される。が、そもそも、SNS上での自分って何者なんだろう?と。
盛れた写真や良い側面だけを見せる世界に居るのは、もう一人の自分?理想の自分?SNSは、なりたかった自分で、世の中を生き直しできる世界なのだろうか?
「SNSに費やす時間」、「承認欲求中毒でSNSから抜け出せない状態」、「SNS上での詐欺被害」、「スマホを手放すと不安になる心理状態」と様々な問題提起もされるが、今後もSNSの活用は広がるだろう。
 
時代は常に変わって行くものであるが、平成から令和と、変わり方とその速さは大巾だ。抗うつもりはないものの、災害も戦争もかいくぐってきた素晴らしきモノや価値観が資本主義により失われてきた事を知る世代は、変化以前の事を思い返し、学び直し、上手く自分らしさを持ったまま時流に乗っていきたいと思うのかもしれない。
 
。。。。。と、考える時間を与えられた。
正に今の時代にふさわしい展覧会だと思う。















粋なビールな夜を過ごそう!

2022-08-09 07:59:00 | 日記
約20年前に初めて、今は無き原宿の『ブラッセルズ』という店でベルギービールと出会って以来、ビールの奥深さに魅了されている。
近年、日本でも様々なエリアからクラフトビールが発信され、都内でもそれらをタップで楽しめる店も増えてきて、ベルギービールもクラフトビールもちょっとお高いけど、たいへん嬉しいことだ。
私は古い友人と飲むのが好き。
幼稚園の頃に知り合いそのまま社会人になってお互いが新しい家庭を築く前まで、なんだかんだと一緒に過ごしてきた友人らがいる。その後少し疎遠にはなったがお互い子育てが落ち着くようになると FBをきっかけに何となく連絡を取る様になった。又、たまたまスーパーで買い物中に声をかけられた見知らぬオジさんが、かつての友達だったという再会もあった。男性は、体型、髪型と見た目が激しく変わる為、青年の頃の面影がない人も多く、声を聞くと、あ?あーあ!!と分かる事がある。
そんな友人らとは、お互いの家庭事情や環境、過去の出来事など含め己を形成しているベースを理解し、最高な所も残念な所も知った上で一緒に過ごしてきた同士なので、楽だし、リラックスでき、何があっても許されるという安心感を持って飲む事ができる。
 
そんな友人らとTGIFの夜に笑笑(わらわら)ビールを飲みながら、今年30歳を迎え結婚に踏み切らない彼氏を持つ私の娘の話をした。彼女の周りは既に子宝に恵まれた知人も多く、コロナ規制緩和の今年は、ほぼ毎月1〜2度ほど結婚式に招かれており「ご祝儀貧乏」という言葉が刺さると云う状況にある。そんな今年の彼女は自身の結婚について考えない日はない様で、ある日、彼女の部屋から聞き漏れてきたのは、
「私は貴方といて幸せを感じる。でも、それ以上に私は貴方を100%幸せにする自信がある」
と言う、珍しく大きめな娘の声だった。
「へ?エ~~~~~~~~~~~~~~」と、驚いた。私、この歳まで生きてきてもそんなことを言える自信を持てた事はなく当然発した事ないセリフであったし、逆に言われた事もない。
一体、彼女は何者?私の娘なのだろうか?苦労させたことで、恐ろしく気が強い女に育ててしまったのか?というのが素直な思いだった。
しかし、その話を聞いてくれた私の古い友人らは、口を揃えて私を褒め称えてくれた。
それは、私が十分な愛を娘に与えた証だと。娘は愛に満たされ愛を学んだからこそ、自分が他人(ひと)愛することに恐れもためらいもなく、自信があるってことだと。愛を知っているからだよと。
「偉かったね」とその夜は、友人らが口々に褒めてくれた。ビールって最高!!
 
この夏、娘は彼氏と同棲を開始し、母子家庭にピリオドを打った。年内に入籍する予定だとLINEが来た。
今年は、私達母娘のそれぞれのネクストステージがはじまる。
忘れられない年になるだろう、2022年。









価値観の変化が難しい…

2022-08-08 15:42:00 | 日記
実は今年の年明けから、私的なことではあるが、心に深手を負い中々浮かび上がらずにいる。モヤモヤした日々は、時間薬で治すしかないと思うものの、それはそれでちょっと、しんどい。
気分転換にとサントリ―美術館の「歌枕」という展覧会に足を運んだ。古来より、日本では湧き起こる思いを人は移り変わる自然のさまなどに託し、和歌として詠み、その歌に詠みこまれた名所、地名のことを「歌枕」と言う。現代でも吉野と聞けば「桜」、三保の松原と聞けば「松林海岸の向こうに富士山」と浮かぶ人が多いだろう。現代のようにだれもが 気軽に旅する事が叶わなかった時代に、歌に詠まれた名所を大和絵から末は浮世絵に描き、更には硯箱、器や櫛、着物等々の意匠へと描かれ、写真が無い時代にそこへ行ったことがなくても、龍田川といえば「紅葉」、宇治といえば「宇治川にかかる橋、柳、水車、網代」と知られるようになり、観光名所として確立していったようだ。そのような事を知ると、普段気にも留めない硯箱というものも味わい深く、長い時間、見惚れてしまった。



単純な性格というのもあるが、やはり、知識を持つということは人生の楽しみを広げてくれるものだ。実に良い企画、構成の展覧会であった。
ただ私は、歌枕の武蔵野の生まれで、武蔵野といえば「竹林」と連想していたものだが、「ススキ」であるということを今回初めて知った。が、正直、未だにピンときていない。
 
歌枕ではないが、私が子供の頃の日本人が持つ外国のイメージには「自由」と言えばNY(米国)、「ファッション」と言えばパリ(仏国)、「独裁、恐怖」と言えば「ソビエト連邦」だった。東京にしても昭和の頃は、「浅草の雷門」や「東京タワー」を思い浮かべる人が多かったと思うが、現代の若者ならば「スカイツリー」や「お台場」なのかも・・・
きっとあらゆる多くの物に対して、持つイメージや価値はどんどん変わって行くのが当たり前の事で、また古からものを変わらず引き継いでいくという行為もそれはそれで素晴らしい。やはり色々な側面に目を向け、受け入れて感性を広げ楽しむべきだ。

天気は曇り空であったがジメジメと暑かったので、帰りに伊勢角谷麦酒の店に立ち寄ることにした。美味しいビールをいただくと、弟が十代の終わりの頃の事が頭を廻った。
ある日、洗濯をしようとリビングルームを通った私は、ひどくドロドロでしばらく洗っていないのだろう古びたジーンズが投げ置かれていたのを見つけた。
「もう、男の子って・・・」と思い、親切心で洗ってあげる事にした。庭の物干しに洗濯もの全てを干し終えて、夕方に取り込もうとすると弟のジーンズだけが無くなっている。帰宅した弟にそれを告げたところ、たいへんな剣幕でお叱りを受けた。ドロドロに汚れていたジーンズは、ビンテージものとのことで、価値が下がるから洗濯をしてはいけないこと、たいへん希少なものなので盗まれて当然であると云う事なのだ。彼の部屋には、他にも私から見ると薄汚れたボロ服にしか見えないジーンズやGジャン、竹のボタンがついて一部分が擦り切れたようなアロハシャツ等があり、値段を聞いて驚いた。知らないとか己の枠だけに囚われているとミスを犯すリスクがあると感じた出来事だった。

近年は、知らない事のリスクが一層顕著になっており、実にハードな時代だと思う。そんな時代を生きていると、歌枕のように平安時代の世から江戸時代までと形を変えながらでもしっかり繋がれていったものに安心というか慰められるような気持ちになるわぁ〜と、しみじみビールを味わった。
つまみは、初めてたべる「乳豆腐」という牛乳を豆腐のように固めたチーズのようなものを漬けマグロの湯引きに添えたもの。
これがまたまた優しくて、今日というこんなひとときが私を丸ごと癒してくれることに感謝した良い日だった。





母娘の列車初旅の巻

2022-08-06 07:19:00 | 日記
私は幼いころから乗物が好きで、買い与えられたリカちゃん人形やリカちゃんハウスに興味はわかず、サンダーバード基地やトミカ基地、プラレールをねだる様な子だった。






今でも鉄道博物館やモーターショーにはついつい足を運んでしまう。
幼い頃の列車の思い出は、青森の田舎へ行く時の上野から野辺地(のへじ)まで乗る夜行列車の「はくつる」
3段式の狭いB寝台、冷凍ミカンと木の皮で作った様な箱に入った独特の香りがする駅弁ともれなく付いてきたポリ茶瓶。その蓋がおちょこ型でそこへ茶を注いで飲んだ。

「はくつる」には食堂車が無く、駅弁の匂いが苦手だった私は食堂車への憧れが強かった。
そこで、離婚後初の母娘旅は、食堂車がある北斗星号で函館へ。🚃🚃🚃🚃🚃🚃🚃🚃
仕事での交通費精算したお金を1年以上貯め込んで、料金が下がる夏休みを過ぎた9月の週末を待ってJRが当時キャンペーンをしていた母子旅割でなんとか予算内に収まり実現。
JR様~~~~感謝、感謝❣️

しかし、当時娘は、なんといっても中学2年生の反抗期。更に、親の離婚の犠牲になり心が荒んでいる時期であった。家でも食事と自分の観たいTV番組を見る以外は部屋から出てこず、ほぼ会話をしない状態が続いていた。

旅行でも変わらず口は利かない、後ろをとぼとぼついてくる。遂に憧れの食堂車で二人でコースをいただくも、私のはしゃぐ気持ちとは裏腹に娘は、無言、無表情。

函館に到着しても、後ろをとぼとぼついてくる。欲しい物を見つけるとその店の前に立ち止まり、私に気づいてもらうのを待ち、私が近寄ると欲しい物を指さす。
買ってあげてもニコリともしない。朝市で海鮮丼を食べる時も塩ラーメン食べる時もソフトクリーム食べる時も無言、無表情。ある意味、徹底している娘に面白くなってくる私。
行きたい店があるとガラケーに「ラッキーピエロでハンバーガー」というようにメッセージが送られて来る。
但し、そんな娘が、旅行中に無表情を貫けなかったことが2度あった。
一つは、JR様キャンペーンのお陰で、旅館のお部屋には露天風呂がついており、風呂へのガラス扉は綺麗に磨かれていた。風呂から出る際に娘はその扉に気づけず、顔面をもの凄い勢いでぶつけたのだった。流石に声を出し、痛みに悶え、幸いたいした傷にはならずだったが、数分後には鼻のてっぺんだけが赤く腫れた。
もう一つは、函館山からの夜景を見に行った時だった。眼下には、予想を超えて美しい函館の地形がキラキラと浮かんでいた。それをじっとみつめていた娘が突然、両目からぽろぽろと大きな涙を流し始めたのだ。多くの淋しさや辛さを彼女に与えてしまい心を乱してしまっている事は覚悟していたし、親の離婚を経験している私もその気持ちは痛いほど分かる。
なのにそれでも離婚を選択せざるを得なかった訳で、当時の私は、慰謝料や養育費も貰えず、専業主婦から突然就職し、本当にこの子を幸せにしていけるのか不安な毎日で明日を考えてしまうと眠れなくなるような毎日というのが本当のところだった。弱くなっていいものであれば、娘と共に泣きたいというのが正直な気持ちだった。しかし、母たる者、娘に弱気を見せる訳にはいかず、中々泣き止まない娘に「美しいものに感動して泣くなんて素敵だね」と声をかけた。娘は「どんな感情で泣いているのか自分でも分からない。変だよね。」と言って笑いながら泣いていた。
彼女も強くなろうとしているのだと知り頼もしく、とてもとてもありがたいと思った。
 
この旅行から何年か経ち、彼女が社会人になってからだったか??ちょっとリッチな2人での沖縄旅行を実現させた。
夕食前の夕暮れにテラスで海を眺めながらシャンパンを飲んでいた時だった。
急に娘が、
 「函館が二人での初めての旅行だったよね。あれでも私、とても嬉しくて、すごい楽しい旅行だったよ。あの時には言えなかったんだけど、ありがとうね。」と、ふわりと言う。
もう、あまりの不意打ちに私の心はドキュンとして、体内中の涙が胸の辺りから頭の上まで津波を起こしたような気持ちになってしまったが、
「そう、それは良かった」と、必死にさらっと装って返した。










 



豆腐を見れば思い出す

2022-08-04 22:00:00 | 日記
大好きな食べ物の一つに豆腐がある。特に冷奴は、大豆の香りがして豆腐の醍醐味を感じる。最近の食べ方で気に入っているのは、めんつゆを豆乳でのばしたものを冷奴のたれとしてかけ、そこに薬味をたっぷりのせ、仕上げに柚子の香りのするオリーブオイルを数滴垂らす。
ワインにも合う感じ🍷
 
さて、大好きな豆腐であるが、今となってはであるが、哀しくも笑える想い出がある。
両親の離婚により母が出て行き、家事分担が自分達に回ってきて、慣れないうちは各人がかなりのストレスを持っていた頃のことだったと思う。
料理が苦手の妹が夕食準備でキッチンに立ち、野菜を切ってサラダを作っていた。
他にも肉を焼いたり、味噌汁をつくる予定だったらしく、いくつかの食材がキッチンの上にランダムに置かれていた。
キッチンからのトントンという音に惹かれ中学生の弟が覗きに来たことが悲劇を生んだ。
「お!うまそっ!」
と、作りかけのサラダに並べていたキウィを一切れ、つまんでしまったのだ。 その途端、空気は変わった。

烈火のごとくキレた妹が
「作っている私より先に食べるとは~~~」😡
許せんと言う事だったのだろう。
包丁をその場に放り出し、目の前にあった味噌汁用の豆腐一丁を弟めがけて投げつけた。
当然、弟は投げられた豆腐をかわす、豆腐は壁にぶつかる、豆腐が弾ける、豆腐が部屋中に飛び散る………。
怒った妹はそのまま自室に閉じこもる。

残された私達は部屋中に飛び散った目視できる限りの豆腐の回収という掃除に無言で明け暮れた。
もう、その日の夕飯は食べたかどうか覚えがない。
 
思うよりとってもたいへんだった… (´;ω;`)ウゥゥ 

後日、私は、天井に何か黒いものがぽつぽつあるのを発見。
あ~~~~~~~~~~不覚!
そうであったぁ⤵️⤵️
 
天井に飛び散った豆腐にまで意識が向いていなかった。すっかり見逃していたのだ。
天井に残されていた豆腐は、カビと化していた。