池袋から徒歩5分ほどの自由学園 明日館の見学に出向いた。
1921年に自由学園の校舎として、アメリカの巨匠フランク・ロイド・ライトの設計により建設された重要文化財である。
石の廊下から入ると低めの天井のスペースがあり、そこに大きな暖炉があった。暖炉の火は身体を温めてくれるだけでなく、見ていると泣きそうになったり、嘘が付けなくなって真実をすべて告白したくなるヤツだ。
それを学校に設置するとは、心も育む学校にはぴったりの設備ではないだろうか!この時点で既に素敵過ぎであったが、その空間から大きな窓に向かうホール部分は、天井がぐんと高く上がっていた。
お陰で実際よりも空間は一層広い様に感じられ、大きな窓から差し込む光が心に届き、刺すくらいに瞬間に照らし、疲れた心にさえ希望が湧いてきそうな感じである。
窓は当時限られた工費の中、高価なステンドグラスの代わりに建具を幾何学的に配置したものとのことだが、とてもゴージャスで洒落ている。
天才建築家って、伊達に天才と呼ばれている訳ではないのだろうが、こんなに癒される空間を創出するとは、すごい!! きっと当時、友達と喧嘩して淋しい気持ちになった生徒も、この空間に招かれた瞬間に温かな光に包まれ心を癒されただろう。
その他にも彼の設計の特徴である幾何学的な彫刻を施したゴツゴツした石の柱を中心に燭台を模したような形状にも見える照明にも魅かれた。
実に自然な灯を演出し、自然と共存しているような優しさに安心と寛ぎを覚え、無理しなくて良いというかそのままで良いのだという気持ちにさせる。
大げさな言い方をすると、ここは、この地球に調和しているというか、逆らっていないというか、心がほどける居心地が良い空間が演出されているのだ。
食堂として使われていたスペースも、また実に洒落ていた。天井にある照明器具の芸術性に惚れ惚れする。
この食堂だったスペースは、現在、喫茶室として提供されていて腰かけてコーヒーとケーキをいただけば、懐かしい気持ちが蘇る。
私の通っていた学校は公立で、全くこの空間に似ても似つかない普通の校舎であったのだが、給食での消毒臭いアルミの盆にアルミの食器と先割れスプーン、水で薄めたような瓶の牛乳に脂臭いだけのマーガリン。
初めての給食は何もかもが消毒臭く、全然食べられなかった。しかし、当時はアレルギーとか問題視されるような時代でなく、給食を残すことは悪で、嫌いな物でも食べるまでは席を立つことは許されない。完食できなければ皆が遊んでいる休憩時間になっても自席でアルミ皿にのった嫌いな物とにらめっこし続け、先生が諦めてくれるのを待つしかない時代だった。
ある日、トマトが嫌いで同じようにアルミ食器とにらめっこしていた男の子がいた。暫くトマトを睨んでいたのだが、急にニコリとした微笑みを周囲に見せると、次の瞬間、トマトを握りしめ窓の外に向かって思いっきり放り投げた。幸いにも、先生は気づかなかった。皆の想像を超えた行為で、一瞬驚きの空気に包まれたが、実に愉快で爽快な気分に変わった事を覚えている。今、思い出しても最高だ!
物事って、そればかり見てると苦しいだけで進めない気がして辛い時間が永遠に続く様に思えるが、実は本人が思うほどたいしたことでない事って多々あるのかもしれない。
例えトマトの彼は、先生に見つかっていたとしても怒られはするだろうが、彼にとって決して食べられないだろうトマトを睨み続けている事と先生に叱られる事と、どちらも嫌には変わりなかっただろう。でもどちらがマシなのだろうか。どっちも嫌なら、早く抜け出すには何が最適だったのだろうか。
窓の外は花壇になっていて、きっとトマトは土に返っただろうし・・・・と思い出して、なんだか心が一つ軽くなった気がした。