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日記、日々の想い 

暮らしの向こうに、戦争はあった

かあさんの実家は
小学校の前にあった
と言っても、自分の通った
小学校ではない
かあさんの兄さん
伯父さんは、工場に勤めていた
スポーツカーを作る
自動車会社だ
多分、開戦直前に設立
N島飛行機の子会社とか
戦闘機部品などを
作っていたらしい
とうさんは、戦争に行ったけど
伯父さんは、行かなかった
不思議な気はしたけど
聞いた事はない
でも、今なら分かる
伯父さんは、結核を患っていて
片肺を取って、治っていたけど
徴兵されなかったのだと思う
伯父さんとかあさんのとうさん
そのじいちゃんは
火薬廠に勤めていたけど
伯父さんは、航空機工場に
勤めたのだろう
「津山事件」を起こした人
あんな人もいるけど
身体が悪かったからと言って
治れば、お国の為に
役に立てた訳だ
軍需産業に従事すれば良い
いや、身体が弱くても
働かされたと言う事か
そんな街の軍需産業は
戦時中は、当然の事
人手不足だった
だから、学徒勤労動員
おまえの実家が引っ越した
海岸の街には
小さな古い住宅が
いっぱいあったけど
地方から連れて来られて
そこに突っ込まれたらしい
中学生年齢かな
小学生もいたらしい
地方からなら、酷い話だ
その人たちの一部は
戦後も、残った
のかも知れない
海辺の小学校では
同級生の両親は
地方の人ばかりだった
おまえみたいな
地元出身者の子弟は
殆どいなかった記憶
遊びに行った友だちの
古くて小さな家は
戦争の名残りだったのだろう
そう言えば、伯父さんの家にも
戦争の名残りはあった
裏庭には、防空壕が造られた
見た事はなかった
おまえの子どもの頃には
残っていたらしいけど
裏庭には、山羊小屋もあり
山羊は、可愛いけど
古いつるべ井戸もある
だから、滅多に行かなかった
まず、古井戸が怖かったから
今、思えば
裏庭を、探検する勇気が
あれば、良かったかな
空襲警報が鳴ると
かあさんが、身を屈めた
その防空壕…
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