大昔、大怪我で、半年も、入院した時の話。その病院は、首都防衛の海軍基地の、兵站となる巨大海軍火薬廠に附属していた、古い歴史を持っていた。だから、まだ、オイルショックの直後くらいの、その時代には、軍の病院だったと言うスパルタンな雰囲気が、残っていた。
珍しい若い男性患者として、若い女性ばかりだった看護師さん、昔看護婦さんと、色々とラブアフェアをやらかして、怖〜いっ、でもお母さん、いやお父さんのように優しい師長さん、昔婦長さんから、暖かく叱られた苦い記憶があるが、それは、若気の至りの、別の話。
とにかく、食事が、凄かった。時間通りで、早いのは、今の時代も同じで、致し方ないが、それでも、夕方四時半は、さすがに珍しいだろう。ただ、それは、良い。
同室の競輪選手のお兄さんに誘って頂いて、夜中に無断外出で、スナックに飲みに連れて行って貰ったりしていたのだから。あっ、もちろん、お兄さんは、帰りは、飲酒運転。選手、クビになっちゃうよっ!まあ、そう思い返すと、コロナ禍で、大人し目に、反抗している若者って、偉いな、とか。真面目に、自粛している若者とかは、気の毒とも、偉大とも、別人種とも、思える。もちろん、自分のようないい加減な人間とは違って、ちょっと年上、或いは同世代の総理や都知事は、とっても、品行方正な青春時代を、送られたのですよね、と思ったりもする。
話、大脱線だが、その病院で、出された魚料理の話。自分は、魚は、骨があるのが、苦手で、その頃までは、あまり、食べられない偏食だった。しかし、他に食べるもののない病院食は、食べるしかない。しかし、その日に出された魚は、分厚くて、ゴムみたいな白身で、原型がどれだけあったのか、想像も出来ない程の大きさを思わせる形状。それは、まだ良い。とにかく、臭いが、凄かった。異臭と言って、良い。それでも、若い自分は、空腹に負けて、少し箸をつけた。でも、臭いが先にきて、吐き気しかない。その日は、同室の魚好きの人たちも、あまり食べられなかった。みんなの同意した意見は、あれは、きっと、マンボウだろう、と。
まんぼうだ、そうだ。この間、緊急事態宣言を、解除したばかりじゃないか。もう、良い加減、良いんじゃないか。やったって、変わらないよ。どうせ、遊びたい人間は、止められないし。すっかり、高齢者の引きこもりになった自分などは、若い頃の無軌道の罪償いもあるから、勝手に自粛引きこもりしているし。もう、無駄な規制で、際限なくお札を刷って、ばら撒いたりするのも、うんざり。
マンボウなんて、ただ、漂っているだけの魚だよ。臭くて、食べられたもんじゃ、なかった。いや、あれは、マンボウな訳ないか。