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日記、日々の想い 

おじいちゃん、偉いなあ

 などと、言っては、申し訳ない。だいたい、自分も、高齢者になって、早三年目。世間的に見れば、十分おじいちゃんなのだから。ただこの方が、自分より遥かに年上、後期高齢者になってからも、かなり経っているのは、間違いない。
 朝、雨が、上がったのか、確認したくて、和室の自室の道沿いの窓から、見下ろした時のことだ。そのご老人が、とぼとぼ、ではない。頑張って歩いているのだから。よちよちも、ちょっと失礼か。とにかく、緩々と、でも、多分、必死に歩いていた。自宅は、一軒先。我が家の道を挟んで、向かい側の、一軒北寄りの家だ。まだ、8時前。



 随分と、早い。ただ、買い物袋らしき袋を、片手に下げている。杖などは、突いていない。これは、分譲住宅地内のコンビニからの帰り道だ。脚が悪いと言って、散歩などすることがない自分より、遥かに辿々しい足取りだが、杖も突いていないのに、休むことがない。
 と、思っていたが、妻に聞いて、時々、休み、休みである事は、知った。そして、コンビニで、菓子などとか、ちょっとした買い物をすることを、日課にしているらしい。妻は、自分と違って、ちゃんと、近所と交流するから、知っているのだ。



 午前中に、クルマで、買い物に出掛けた時に、ご老人が、宅地内のT字路の、ちょっと高い角地の住宅の積み石の側壁に、寄り掛かって、休んでいるのを、見掛けた。ああ、こうやって、休んでいるんだな、と初めて知った。杖を持っていないのは、意地なのか、見栄なのか、はたまた、リハビリに対する思い入れなのかは、分からない。コンビニまでは、片道500m。自分は、数mだったら、走り出しそうな勢いは、ある。筋力も。しかし、踝関節に痺れが出るから、コンビニよりも近い、片道300mのファミレスでも、完歩が怪しい。ちょっとした幹線も、杖なしで越えて行く、ご老人の旺盛な気力と根性には、もう、脱帽しかない。やはり、戦前生まれの方の逞しさは、団塊の後の世代で、三無世代などと言われた世代の自分などとは、比較にならないな、と思ったりもした。
 まあ、これは、世代などで、安易に括っては、いけない。人、それぞれ。ご老人が逞しくて、自分が情けないと言うだけの話だろうとは、思う。



 自分は、分譲住宅の造成末期に、三十代半ばで、入居した。ただ、ご老人は、自分よりは、数年後、中古を購入されたから、自分よりは、後の入居になる。今は、ご夫婦だけだが、結婚された一人娘さんも、当初は、同居されていた。何でも、上場大手の部長さんだったらしい。退職して、終の住処に、半田舎暮らしを、選んだのだろう。
 ご老人は、後々の入居だが、大手の管理職経験者だったから、自治会では、早くから、幹部的役職になり、いわゆる顔だったらしい。自分は、自治会などは、妻に丸投げしていたし、近所付き合いもしないから、知らなかった。ただ、前回の自治会の班長役が、我が家に回ってきてしまった時のこと。妻も、パートをしていて、自分は、第二の職場。余裕が出来ていたから、嫌々だが、班長の仕事を、自分が引き受けることになった。その時、総会で、たまたま、ご老人を見掛けた。今よりも、ずっと元気だった。
 ご老人は、当時、自治会の役員は、引退して、顧問をしているようだった。何か、現役の役員さんに、色々と文句を付けている。叱っている感じ。何だか、面倒臭そうな人だな、と思った。さすがに、上場企業の元管理職だな、と。それで、その時も、それ以降も、近寄らない、関わらないようにして来た。もちろん、自分は、人付き合いが鬱陶しいと思う、現在引きこもり状態ではある。しかし、このご老人とは、身近にすれ違うこともないし、近年、挨拶をした経験すらない。まあ、無意識に、それとなく、避けてしまっているのだろう。



 ただ、遠目に見掛けるご老人の弱々しくはなっているが、生きることを諦めない前向きな気持ちには、敬意しかない。自分も、こんなに引きこもりっぽく生活はしているが、室内の運動は、継続して、しっかりやっている。自分で書き溜めるだけの自己満足だけではなく、こんな風に、他人に読んで貰えるブログも、始めてみた。読んで頂いて、良くも、悪くも、評価さえして貰えば、いい。それを、生きがいに出来る。あのご老人のように、自分も、ずっと生きることを諦めたくない。死ぬ時も、前のめり死ねたら、と思っている。




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