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日記、日々の想い 

傷つき、でも治して、乗り越えて…

二十歳、ちょっと過ぎ
あの時に、負ってしまった
右脚の大怪我は
おまえの愚鈍さの
証しだったけど
でも、なんとか
完治したのだと
すっかりそのつもりに
なってしまっていた
右下腿の開放性骨折だから
くるぶしの関節に、後遺症が出て
90度位にしか
曲がらなくなってしまった
でも、その程度だから
全力疾走だって出来たし
以前と変わらずに
跳ぶことだって出来たんだ
ただ、くるぶし関節と
右下腿の傷痕辺りには
鈍い痛みは、つきまとったけど
耐え難い程でもない
そんなことには
結構、鈍感なおまえだから
あんまり、気にすることも
最初から、なかったしね
その鈍痛は、抱え続けたけど
それが、普通の日常なんだと
思えていたから
あんまり、気にすることなど
なかったんだ
でも、中年太りが
だんだん、進んで行くと
その身体の余分な重みが
結構、こたえてきたのか
くるぶし関節が
強く痛むことが、あって
やがて、そんなことが
増えていった
歩いていて、そう気づく
おまえの大概な鈍感でも
遮え切ることなど出来ない
その向こうから、じわじわ
どうしても、気になる
執拗で、拭い難い
そんな風な痛みとなって
おまえの意識に
へばり付き始めたんだ
ただ、それだけじゃ終わらない
くるぶし関節の、僅かな不自由は
ひざ関節に、余分な負荷を
知らず、ずっとかけ続けていて
それが、やがてひざ関節症を
発症させてしまっていた
そして、その
ひざ関節症、その痛みは
当たり前に、持病になって
しかも、加速度的に
悪化してしまった
もう、くるぶし関節や
古傷辺りの痛みは、二の次だ
結局、ひざ関節の痛みは
耐え難くなってしまって
歩くことにも
はっきり、支障が出始めた
ひざ人工関節置換手術を
受けるしか、なくなってしまった
確かに、その術後には
ひざの激しい痛みからは
解放されたけど
今度は、古傷の下腿や
くるぶし関節の
以前からあった痛みが
痺れに変わって
どんどん、酷くなっていく
もう、あんまり長くは
歩けなくなってしまった
それは、やっぱり
あの時の大怪我の
後遺症には、違いない
結局、あの時の古傷には
完治など、決してなくて
生きることの、これからには
この強い痺れや、痛みから
解放されることなど
決してないんだ、と
思うようになっている
だけど、こんな風に
ひとは、みんな
その生きている、長い年月で
繰り返し、数限りなく
傷つき、傷ついて
もちろん、その傷を
治そうともするし
治して、何度でも治して
それで、確かに
治るんだろうけど
ただ、それは
本当には、治っていなくて
傷痕として、残されて
やがて、その傷痕は
それなりの傷として
それは、どれもこれも
それなりに、痛くて
また、もっと痛くもなるし
もっと、苦しくもなる
そんな風に、ひとは
傷つき、傷ついて
傷つき続けて
治して、繰り返し治して
だけど、その傷は
繰り返し、傷痕となり
その数限りない、古傷の
痛み、苦しみと
闘い、或いは付き合って
抱え込み、背負い込んで
この様々に、生起して行く
日々の面倒ごとに
また新たに、傷つきながらも
乗り越えて行く
そうして、生きて行く
いや、乗り越えて来た
生きて来た、と
今は、そうも思える
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