生命を構成する最小単位を、自己再生産出来る細胞とする。逆に、細胞を持たなければ、生命ではない、と言うことだそうです。従って、細胞を持たず、他の生命体の細胞に寄生することによってのみ増殖するウイルスは、生命ではないのだそうです。ただ、そこには、未だ議論があって、細胞を持たずとも増殖するウイルスは、まだ、科学的には、生命であるかどうか、確定されていないような存在でもあるようです。午前中の文章で、ウイルスを生命の一種として書いてしまいました。浅学で、ごめんなさい。
それは、それとして。今、自分、私たちは、かつてあまり経験したことのない、たちの悪いウイルスと、直面している訳です。それが、他の動物、或いは、生命体にとって、同じような脅威であるか、どうかは、分かりますせんが。
ただ、恐らくは、楽観的に考えて、人類が、このウイルスに滅ぼされるような悪夢は起きなくて、いつとは言えないにしろ、近い将来、人類は、このウイルスを、克服するのでしょう。それは、絶滅させると言う事なのか、或いは、ずっとあり得るシナリオとして、スペイン風邪・インフルエンザのように、一定の被害を受け入れつつ、共生していく事なのかに、なるのでしょう。この新型コロナウイルスは、人類の放つ脅威、ワクチンや、やがて開発されるかも知れない特効薬を、変異を繰り返し、弱毒化したり、時々強毒化したりしながら、生き延びていくのでしょう。いや、生命体でないなら、存在し続けていくのでしょう。
しかし、ウイルスと言う非生命は、人類よりも、遥かな太古から、この地球上に存在しました。現代では、ウイルスにとって、自らを増殖させてくれる最も有力な寄生先の一つが、人類なのかも知れません。一方、ウイルスと言う存在を脅かす、最も危険な敵の一つが、人類と言えるのでは、無いでしょうか。ワクチンを使って、細胞への侵入を防ぎ、抗生物質などで、ウイルスの絶滅を、企みます。長い地球の歴史の上で、存在として、遥かに新参者の人類が、です。
地球上の動物では、やがて、人類が最大になると言う話があります。人類に、危害を与える可能性がある動物たちは、人類に、徹底的に殺戮し尽くされるからでしょう。実際に、地上最強の肉食獣の一種であるネコ科の大型動物などは、絶滅危惧種とされるようになっています。
「狂ったサル」と言う本があります。興味がありましたが、物臭で、熱心な読者家とは言えない自分が、読むことはありませんでした。しかし、バクっとした内容だけは、聞いたことがあります。要は、人類は、特別な存在などではなく、狂ったサルで、その狂った猿が生まれたことによって、一定の生態系に収束していた筈の生命の秩序が、脅かされていると言う内容だったと、記憶します。人類は、あらゆる生命に対して、最も望まれない危険な存在だと言うこと。また、寄生するだけの存在で、非生命のウイルスにとってさえ、攻撃を仕掛けてくる、危険な存在なのかも知れません。
そんなことを、考えながら、今日も、自分は、除菌ソープで、手洗いをしながら、感染症対策をしています。洗い流して、ウイルスを、消滅させながら。これは、しっかりと、続けます。ただ、自分が、狂ったサルに過ぎないと言う自覚も、常に、持っていたいと思います。狂ったサルとして、生存競争に、勝ち抜いていきたいと思います。
地球上で、最も危険な存在。血塗られて、薄汚い存在。その残虐で、狡猾な生命力によって、あらゆる他の生命を、脅かし、暴虐と殺戮の限りを尽くす。あらゆる物質を、消費し尽くす。そんな汚物そのものの生命体らしく、強かに生き抜きたいと、思います。
ウイルスは、多くは、病原体ですが、そうでない種類もあるようです。人類にとって有益な。ウイルスを、洗い流しがら、自分は、生き抜いて生きますが、絶滅は、意図すべきでは、無いように、思います。共生出来るレベルで、折り合いをつけなければ、いけないのでしょう。このウイルスに、打ち勝たなければ、なりませんが、ひょっとすると、このウイルス禍は、生命の揺り籠、地球から下された、人類に対する壮大な罰かも知れない。そんなことを考えながら、大地、その育むものに、もっと謙虚に生きていこうと思います。