今朝の、空港の観測値の最低気温は、15.1℃でした。暖かかったですね。当地の今のところの最高気温は、24.8℃です。午前中の観測値です。午後になりましたが、公共放送の現在の最高気温の予測値は、その気温は、超えないようですね。日差しが弱いからでしょう。
花々は、また皐月などが、咲き始めていますね。花の季節は、結構長く続いていくようです。と言うより、夏、秋、冬にも咲く花は、ありますから、一年中ですね。庭にも、草木にも、花々にも、関心が薄くて、疎かった自分が、ちょっと変、と言うことでしょうか。
毎日、何度も投稿しています。そろそろ、収まるかなと思っていましたが、なかなか止められません。結構、もう少し、控えたいとは思っているんですけど。ちょっと、おかしく思われないかな、と。
継続して、読んで頂いている方も、いらっしゃるようなので。なんか、書き過ぎが、かえって、気になります。まあ、おかしいと言えば、おかしいと思います。一応、一見普通の社会生活を営んできましたから、受診などしたことは、ありません。精神的に、本当に、苦しんだ事など、ありませんしね。
でも、例えば、こうして書くことです。数年前までは、ずっと、書くことなど、ありませんでした。急に、書き始めている。ひたすら、書いている。憑かれたように。
双極性障害的な精神性の為かな、などとも思っています。日常生活では、年金生活を良いことに、社会から、引きこもっているのです。鬱状態と言えるでしょうね。
ところが、書くことに関しては、ある意味、お祭り状態で、止められません。躁状態と言えます。思いが、言葉が、浮かんでくると、書き始めてしまう。そして、止められない。
最後の職場を辞めて、手術入院、療養、年金生活と、変遷してきましたが、暇にあかせて、書き始めました。こんなに書いているのは、思春期以来です。最初は、妻だけを、読者にしていましたが、多少辟易していそうなので、ブログを、見つけました。
お目汚しになってしまっていますが、どなたかに読んで頂いていると思うと、書き甲斐が出てきてしまいました。突然、止めたり、放り出すかも知れません。書くことの鬱状態が、訪れるかも知れません。そんな時は、書いたものが、みんな、何もかも、嫌になって、捨ててしまっりする。それで、何の悔いもない。自分は、そんな人間です。
でも、今は、この楽しみだけは、手放したくない気持ちも、あります。最期まで。他の方のブログを、読ませて頂けるのも、喜びになっています。自分に無い世界は、刺激的で、やはり楽しい。何とか、柊生の楽しみにしたいものです。
しかし、言葉は、或いは、言葉を、紡ぐ想いは、不思議です。朝の投稿は、ちょっと、散文詩スタイルにしているのですが、今朝のお題と、出来上がった散文は、どうにも、辻褄が合わない。
書き始める前に、それなりの想いがありました。それをお題に、言葉を紡ぎ始めました。言葉は、違う思いに繋がる言葉と繋がってしまいます。すると、違う思いが、広がっています。それは、想いとなり、選ばれる言葉は、まったく違う思い、その言葉へと、繋がって行きます。そんなことが、繰り返されて行くと、まったく違う想い、世界に、辿り着いていました。
そんなことが、書こうと思う時には、ずっと、ずっと繰り返されてきました。だから、このブログでも、このお題と中身、全然違うじゃん、なんて思うことは、度々でした。
でも、そんなことで、少しは、書き直して、辻褄を合わせたり。或いは、そのままのお題で、投稿してしまったり。
でも、意味不明だよな、やっぱり。それで、お題を、付け直してみました。あれっ、これで良いじゃん。まあ、前のお題で、書き始めて、辻褄の合わなくなった冒頭部分とか、少し、書き直したりも、しましたが。何か、より、書く気分が、解放された、そんな気がしました。
自分には、これが良い。お題は、決めるけど、変えても良いつもりで、書き連ねて行く。すると、解き放たれた言葉、思いは、奔放に、勝手気儘に、その世界を、広げて行ってくれるのです。溢れる程に。
こんな事は、日々、時々のお題に縛られた日常では、許されない性向なのかも、知れません。社会に適合する為に、お題に合わせる為に、自分は、自らを縛って来たのでしょうか。ただ、今の、ささやかでも、気儘の許される年金生活は、それを許してくれているのでしょう。
自分の意識の世界を、あてどもなく繋がって行く言葉。やがて渦を巻く。そして、思っていた想念は、別の想念に、置き換わっています。そうして、言葉、想念の、疾走、拡散は、止むことがありません。
ちょっと、病んでいるのかな、とも思いますが。心地は、良い。身体も普通です。この自らの言葉、想いの暴走に、身を任せていたい。そんな自分が、います。