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日記、日々の想い 

歴史?そりぁ、複雑だよね

 ワクチン接種の優等生、某中東の孤児国家のことで、ブログを、書いてみた。歴史は、難しいな、と。
 そうなると、泥沼化した歴史問題を抱えるとされる近隣の半島とのことにも、考えが及んだ。
 以下、ちょっと、顰蹙を買いそうなことを書く。何しろ、半島南部国家の前大統領などは、恨は、千年消えないと、仰った。お父様は、終戦までは、日本人T木中尉として、日本の士官学校迄、卒業。日本の傀儡国家とされたM州国軍中尉として、M州国皇帝陛下だけではなく、天皇陛下にも、報国の誠を、捧げられていた方だったのだが。すると、前大統領は、戦犯国家の傀儡国家の優秀な将校だったお父上を、死んだ後も、千年恨み続けるのだろうか。
 もちろん、彼の半島が、かつて、併合と言うかたちで、日本に植民地支配された、とも言われる歴史がある。そして、強制的に、勤労や軍の慰安に動員があったと言うことも、それなりの事実はあるのだろう。でも、ひょっとすると、貧しい境遇から、逃れる為に、その境遇を、自ら選んだ人々がいなかったのかと言う疑問を、自分は持つ。
 半島の人々にとっては、許し難い考え方かも知れない。しかし、自分は、物事には、そんな表裏は、あると思っている。そして、この問題の難しい側面は、併合と言う事実にもある。半島は、日本の植民地ではなく、日本と統一された国家だったと言うことだ。これは、ナチスドイツに併合されたオーストリアと立場が、似ている。
 半島南部が、現大統領の時代になってから、オーストリア大統領が、来訪した時の話だ。オーストリア大統領は、前世界大戦での戦争犯罪について、言及した。報道でその話を見た自分は、大統領が、併合されていた自国も、加害者として、反省の思いから、言及したように思えた。しかし、半島南部の大統領は、オーストリアも被害者、抵抗者として、自分たちを大戦の勝者とする半島南部と同じ立場と考えて、共感する言辞を弄していたように思う。確かに、二人の想いは、すれ違っていた、と思えた。
 半島と、オーストリアとは、併合のあり方は、かなり違う。半島は、王国が崩壊して、単純に、日本の軍事力に屈服したと言う、より植民地的な経緯を、経ていたように思える。一方のオーストリアは、自国にも抱えていた、ナチス党の主導した併合だった。しかも、総統は、オーストリア出身者だ。更に、その前段階として、オーストリアのハプスブルク家の主導する大ハプスブルク帝国としての長い歴史もある。オーストリアが、ドイツから、一方的に併合された被害者とするには、無理がある。この一事をもっても、半島南部の現大統領が、極東史はともかく、世界史に対しては、余程浅学な人としか、評価出来なかった。一方、オーストリア大統領は、安易に責任逃れなどしない、真摯な姿勢の人格者だと思えた。
 半島の人々で、日本に併合されていた時代に、抑圧的な立場で、塗炭の苦しみをした人々もいたのであろう事は、否定出来ない。そんな特権階級や軍が、専制的な力を持つことが多かった国家体制だったのだから。そのことに苦しんだ日本の庶民も、多かったはず。ただ、前大統領のお父上のように、軍のエリート将校として、特権を受益出来る立場にいた人たちもいた。しかも、戦後、半島出身者として、日本人と同じ敗戦の罪からは、免れることも出来た。美味しいとこどりだらけ。前大統領は、いったい、誰に千年の恨を、抱くのだろうか。付け加えれば、現大統領も、それなりの日本の統治の受益を受けた家庭の出身と聞いたが。
 サウンドオブミュージックの主人公のクルップ一家のように、ナチスに抵抗したオーストリア人も確かにいた。だから、オーストリア人すべてに、戦争責任が同一にあるとは、思わない。更に言えば、戦争裁判など、勝者の一方的な論理に基づく茶番とも言える。勝った共産全体主義帝国の末路に至る悲劇の数々は、ナチスより、果たしてマシだったと言えるのか。欧州の植民地を抱えていた帝国群は、植民地支配の搾取の歴史を、世界大戦の正義の押し付けの陰に、糊塗しただけではないのか。
現在の世界一強国家に、世界帝国の専横な体質が、無かったと言えるのか。
 オーストリアは、欧州の戦後秩序の構築の政治的な理由で、ドイツと同等の境遇に陥ることを、免れたように思える。同じように、半島も、東西激突の緩衝地区としての政治力学的な理由で、日本統治の受益者たちが、日本と同等の戦争犯罪に問われることを免れたに過ぎないのでは、と思える。
 日本は、ただ、悪かった。謝るしかないと言うのは、簡単。トラストミー元首相のように、然るべき地位にあった人が、あちこちで、土下座して回ると、意外と歓待されて、気持ちが良いのかも知れない。しかし、自分たちのような一般庶民が、土下座して回っても、更に蹴り飛ばされて、終わりだろう。
 よくよく、色んな角度から、考えて、歴史は、反省した方が、良い。文禄、慶長の役は、半島に、苦難と、被害をもたらしたのだろう。それと、近代の歴史を重ね合わせた、千年の恨なのだろう。しかし、その千年には、別の歴史もある。
 あの元寇で、今も、もちろん日本領の対馬で、ほぼ皆殺しの悲劇があった。草原の国に征服された大陸と、そのまた手先に落ちぶれた半島の連合軍による仕業だ。これも、千年経ってないから、恨で良いよね。日本人が、半島併合や、大陸戦争では、恨は、晴れないと言ったら、どうなんだろう。千年は、良いそうだから、先に起こったそっちの問題を解決してから、後の問題は、解決で良いよね。何しろ、併合時代の問題があるから、拉致問題なんて、後回しだって言うのが、半島の論理でしょ。先にある問題から、解決しようね。と、言うこと。
 白村江の戦いは、千年以上経ってるから、まあ、良いか。いや、中東の孤児国家の二千年が許されるなら、それもありか。半島北部や、大陸東北部の蛮族が、南部の諸国を、征服したんだよね。大和も支援したが、今も半島を跋扈する蛮族に敗れてしまった。半島の歴史研究者も言うように、皇室に、半島の王家の末裔が関わるなら、少なくとも、半島南部から、蛮族を駆逐して、本来の臣民たちが、それに従ったのは、正当な歴史の有り様だったのかな、とか。近代に、半島南部の王室を継ぐ皇室の軍隊が、その領土を回復したのは、中東の孤児国家と、同程度の正当性は、あるはずだ、とか。
 まあ、そんなことを、今更、本気になって、叫ぶことなど、あり得ない。ただ、歴史なんて、所詮相対的なもので、一面的にしか、解釈出来ないものでは、ないはず。それが、半島や、大陸の言うような一方的な歴史観に統一されることがあるとしたら、強者が、弱者に押し付ける時だ。だから、半島や、大陸の歴史観を、全否定するとは言わず、逆に全部鵜呑みにする時は、その奴隷として、生きる覚悟をするしかない。
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