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日記、日々の想い 

二日目の歩き、継続…

始めて、二日目は
昨日から、帰ってから
あれこれ、挫けて
もう、いいやって
止めとこうか、と
なったり、ならなかったり
でも、結局
止めとこう、とか
また、今度で良いとか
思ってしまって
ただ、いや違う
やるんだ
おまえは、いつも
そうだけど
楽な方に、逃げるけど
でも、もう
違うだろう
会社で、たいしたことも
出来なかった
ただ、今度こそだ
おまえは、なにをやるのか
まだ、迷っている
いい加減なやつだから
だけど、もう
変わるんだ
まず、大袈裟なことで
挫けたって、仕方ない
歩くと決めたんだから
歩くんだ
前へ
ひたすら、前へ
そんな風に
その日の夕方に
そう思い返したんだ
その思いの熱に
うなされているみたいに
熱い気持ち、そのままで
自分は、家を
飛び出した
まだ、明るかったけど
もう、恥ずかしいなんて
思うことは、止めた
それは、気持ちが
止まらないから
そのままに
人の目なんて
どうでも良いよ
もう、そんな事は良い
ただ、歩く
ただ、前へ
今日は、もう
ハーフコートなんて
着てないよ
もちろん、脱いだんだ
もちろん、当たり前だ
あの汗塗れだったんだ
でも、ちょっと
寒いけどね
いや、すぐに
暖かくなるさ
行き先は、なんにも
考えてないけど
ふと、歩くんだ、と
強く、思えたから
その気持ちを
大切に、絶対壊さない
そそくさ着替えて
妻へ、「行ってくるね」って
ひと声、掛けて
いきなり、街に
飛び出したんだ
だから、道は
当たり前に
昨日と同じだ
そうなる
脚は、まあ
そう、いきなりは
変わる訳がない
重いし、痛いし
でも、気持ちがあるから
気持ちが、身体を動かす
どんどん軽く
痛みなんて、気にならない
そうだ、昨日もそうだった
だから、毎日
このままの気持ちで
いるだけで良いんだ
そうすれば
身体は、動き
脚も、動く
前へ、進む
どんどん進む
ほら、またあの
長い、長い急坂だ
さあ、行くぞ
今日も、行くぞ
気持ちが、立ち向かって行く
さあ、上れる
上ってる
そうだ、こうして
毎日、必ず
上って行くんだ
        to be continued

 しかし、9月になって、いきなり、此処まで、はっきり秋の陽気になった年も、あまり記憶にありませんね。昨日の当地、空港観測値ですが、最低気温は、19.4℃。公共放送のデータ放送ですが、朝方は、20℃ちょうどでしたので、雨の降り出した夜に記録した気温だと思います。そして、最高気温は、23.2℃。これは、午前中でした。まったく気温が、上がらなかったと言う事です。8月下旬の酷暑が、嘘のようでしたね。

 肌寒い位でした。今は、コロナ禍で、風邪など拗らせたら、ワクチン接種済みでも、簡単に受診出来ないと思います。だから、普通の風邪でも、引けません。早速、部屋着も、半袖、半パンツから、長袖、長パンツに変えました。ただ、やはり、気温が、下がると、汗もかきません。身体は、楽は楽ですね。そして、もう酷暑の戻りは、ないようです。後は、災害級の台風や大雨が、ないように祈ります。

 このブログで、コロナ禍情報も、連載投稿しています。いい加減、少し書き過ぎと、セーブしたい気持ちはあるのですが、ブログなどまったく未経験で、やっと、半年程度。反響も頂き、すっかり調子に乗り、気になった事を、書きまくってしまっています。お目汚し、申し訳ありません。

 それで、コロナ禍情報での最近の投稿です。アビガンの未認証を批判する、大学病院の先生。次期地元与党候補予定者の紹介に、話がそれてしまいましたが。すいません。もっと、話が、それます。なので、こちらの日記に、書きます。それは、その先生が、関わってきた隣街の大学病院のドクヘリで、記憶に残る話題です。あの3.11大震災のちょっと前に、ニュージーランドのクライストチャーチで起きた地震にまつわる悲劇の話です。

 あの時は、日本人向けの語学学校が、倒壊した建物に入っていて、日本からの留学生が、かなり亡くなりました。女性が、多かったと記憶します。自分などは、まったく知りませんでしたが、ニュージーランドは、英語の語学留学で、人気だったのですね。それで、その学校の亡くなった日本人女子留学生の話です。30代だったと記憶します。

 彼女は、我が県内の比較的近隣の街からの留学生でした。実は、自分が、一昨年、脱腸の手術を受けた、あの国際医療組織の運営する地域の拠点病院の看護師だった人です。その病院は、次男が、中耳炎、扁桃腺の手術で、お世話にもなりました。自分も、以前に、尿道結石で、救急の休日受診。変形性膝関節症の初めての受診も、この病院でした。妻も、手指の変形性関節症や、毎年の人間ドックを受診している、最も馴染み深い病院です。その病院の看護師さんだった彼女は、地元の人ですから、悲嘆にくれるご両親の有り様なども、度々、テレビのニュースにも報道されて、とても記憶に残りました。

 しかし、彼女は、その拠点病院からは、転職していました。その転職先は、やはり、同じ地域のもう一つの拠点病院、そう、あの大学病院です。そして、あのドクヘリに搭乗する救命救急チームに所属して、空飛ぶナースだったのです。当然、今回立候補予定の先生の部下だったのでしょう。先生は、D-MATにも、関わってきた訳ですから、彼女も休職して、語学を身につけて、国際的な医療支援チームに加わるような崇高な夢を、抱いていたのでしょう。

 それが、異国で、手抜き建築疑惑もあったと記憶する倒壊したビルの下敷きになって、志半ばに、命を落とす羽目になってしまったのです。熱意や勇気、大志もあった筈の看護師さんの儚な過ぎた生命。運命は、皮肉過ぎますね。彼女は、このコロナ禍の今。ひょっとすると、世界の辺境で、国際的な医療支援にあたっていたかも知れません。或いは、帰国して、国内の最前線で、戦ってくれていたのかも知れません。辻立ち演説をする先生を、横目に、結構ずっしりと、思い出してしまいました。







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