それを、若い人は、とばかり殊更に言うのは、いかがなものか、と。自分より年上の、D塊世代をはじめとした、いまだに全有権者に大きな割合を占める高齢者に、政治家の皆さんが、阿っているのかなと、疑ってしまうこともある。
そこで、昨日聞いたニュースだ。自分の住むC県で、変異種のクラスターが、初めて発生したと、知事が発表した。それが、昼カラで、高齢者ばかりだと言う。皆さん、多くは、マスクもせずに、熱唱されていたらしい。そりゃ、感染るよな、と。しかも、初の変異種クラスターとは。分別が無ければならない高齢者が、どんだけ恥ずかしいんだ、と。この方々は、まさか、若者批判などには同調せず、皆さん理解のある方々だったとは思うが。
だいたい、自分より年上の、D塊世代をはじめとした戦前、戦後の混乱期を生き抜いてきた方々は、生命力が強い。他人を押し除けても生き抜いてきた、そんな方も多い。こんなことを言うと、生意気な、と顰蹙を買いそうなので、言い訳すると、これは、敬意を表しているつもりだ。ただ、そんな生命力の強い方々だから、集まって騒ぎたい人たちも、とても多かったように思う。だから、映像にもあったが、昼カラで感染症対策など気にせず、熱唱している姿は、逞しくも感じたが、呆れもした。
C県では、春の蔓延期にも、自分の住む街と比較的近い、中核的な都市で、高齢者による昼カラクラスターが多発して、問題化した。今回のクラスターが、その都市かどうかは、知らないが。とにかく、我慢出来ない人は、老人でもいるし、多いと言うこと。それも、個人の個々の性向の違いがあるから、自分のような引きこもっていて苦痛に感じない人間が、とやかく言うことでもない。そう、思っている。自分が、感染したくなければ、そんな人たちとは、接触を避ければ良い。
ただ、そんなことだから、やっぱり、若い人は、とか、そんな安易な括りは、そろそろ止めるべきだと思う。だいたい、若い人の多くも、そんな高齢者たちより、よっぽど自粛している子たちは、多いように思えるのだ。