「死んじゃったの?しろ!」子どもたち。いや。お腹が、息をして、動いている。「大丈夫だ。」自分も、父親。ここは、落ち着いて。「大丈夫?本当に⁉︎」子どもたち。「うんっ、お母さん!」「タオル、持ってきてくれる?」犬小屋にも、毛布とかあるけど。ここは、清潔なタオルを。妻が、バスタオルとハンドタオルを。そうだね、ハンドタオルも、必要だ。ハンドタオルで、口を拭ってやる。背中をさする。息をさせなければいけない。少し、息を取り戻している、しろ。引きつけ、痙攣、吐き気、弱々しいけど。繰り返し。可哀想に。なんて事を!毒を盛られたのは、分かった。何となく。「先生、診てくれるって!」妻。「分かった。すぐ、行こう!」「ぼくが、抱く。」「いやっ、ぼくだ。」「いやいや、お父さんだ。」「クルマは、お母さんに、運転して貰おう。あっ、ビニール袋も。」戻しちゃうかも知れない。
妻に、運転して貰う。それでなくても、クルマに弱い。後部座席。三人一緒。狭い。一人は、前へ行かせたいが。子どもたちが、しろから離れない。自分が真ん中で、子どもたちは、両脇。バスタオルで、抱いて。ビニール袋は、弟が持つ。震えている。意識は、あるのか、ないのか…さあ、行くぞ。
妻は、いつもより、慎重に。戻すと、まずいからね。分譲住宅の真ん中の大通りに出て、左に折れる。右側は、一面の田んぼ。その先は、大河T川のスーパー堤防迄、ずっと続く。その向こうも、何にもない。日本一の大河が貫く、日本一の平野のど真ん中だ。単独のT山の山塊だけ。よく見ると、内陸側は、遥かに、平野を囲む遠い山脈が、霞んでいる。日本一の山も、里山の間から、見える。
反対側は、分譲住宅の擁壁。抜けると、田んぼ道から、古い街道に入る。街道と言うには、細すぎる旧道。しかし、この道は、れっきとした北総の名刹、初詣の名所の大寺院への江戸からの参詣道だ。T川のずっと上流の、江戸へと繋いだ運河辺りから、連なる道なのか。いや、御三家城下町への主要街道から、分かれてくる道なのか。今は、地元の人しか通らないが、江戸期には、講の人々が、参詣に来たんだろう。
過疎時代からの、昔の街並みを、縫って行く。もちろん、土地を売っていたりするから、古い家と、立派な家が、混在。さあ、着いた。しろは、ぐったりのまま。吐く元気もない。
ピンポンで、おじいちゃん先生。直ぐ出てきてくれる。診察小屋の診察台へ。先生、半分、御隠居の暇潰しと言う感じなので、一人でやっている。うーんっ。農薬のような毒物じゃないか、と言う。農薬は、自分たちの子どもたちの頃から、簡単に手に入る毒薬と言うイメージだった。一番怖いと言うような。本当は、除草剤の方が強いんだろうが。農家育ちなどではない自分は、除草剤と農薬の違いが良く分からなかった。農薬は、殺虫剤的なものから、稲以外の雑草を駆逐するものがある。しかし、除草剤は、ものによると、あらゆる草本を、根枯らしさせる。木本も、枯らしかねない。
どちらか分からないが、とにかく、解毒剤の注射を打って貰った。先生は、これで大丈夫だよ、とのこと。ほっと。もちろん、帰りのクルマは、しろは、まだぐったり。でも、子どもたちが、抱っこしたいと言う。自分が、運転。妻は、助手席。子ども二人で、後部座席で、抱っこ。吐くほどの元気も内容物も無いが。涎は、だらだら、垂れ流し。これは、行きよりも多い。少し、復活の兆しかも知れない。
しろが、どんな風に復活したか、覚えていない。当日は、家の中。子どもの頃のように、リビングで、バスタオルを敷いて、寝かせた。ただ、案外、直ぐに復活していたような気もする。まったく!
心配させやがって。ただ、烏の死骸が、放り込まれたり、近所でも、嫌がらせを受けたりした家が、あった。近所に、変質者や、動物虐待常習者のような危ない人間が、徘徊していることだけは、間違いなかった。子どもも、まだ小学生だったし、犬も、狡猾な手口を使われれば、番犬にならない。その場は、そのままにしてしまったが、後々考えれば、警察に相談したり、自治会に報告すべき事案だったと思う。
ただ、当時の自分は、アラフォーで、肥満で動きは悪かったが、若い血気みたいなものは残っていた。だから、愛犬に、何てことをしてくれるんだと、怒りは、収まらなかった。しろは、もちろん、しゃあしゃあと、すっかり元気になりやがったが。まあ、また狙われるかも、と思っていた。毒を盛られたのは、明るいうちだった。しかし、しろが、宵の頃に、激しく吠えることが、頻繁にあって、その時が、怪しいと、思っていた。そして、ぞんな時に、飛び出して行って、とっ捕まえてやろうと。お恥ずかしい…
平日の指定の休日だったと思う。百貨店相手のアパレルの営業の仕事をしていたから、土日の休みの代わりの代休だ。何となく、その時は、今日こそは、と思っていた。父の形見の木刀を用意していた。本当、変質者に負けない危うさ。お恥ずかしい。それで、しろが、吠え出した。これだ、と思った。サンダルで、庭にそろそろ降りる。手には、木刀。ひっそりと、吠えるしろの近くに、佇む。あっ、自転車が。止まって、生垣から、こっちを窺った。何か、投げ入れた!
瞬間。ダッシュ!生垣に。手には、木刀。自転車は、一瞬で離れた。庭の脇道を走る。あいつ、駐車場に、烏の死骸を投げ入れた奴かも知れない。駐車場に、飛び出す。一旦、道の反対側に逃れたかに見えた不審者は、油断して、ふらふらと、駐車場に近寄っていた。突然、危なさそうな木刀を手にした、親父!瞬時、自転車を翻した。突き当たりの道へ、猛然と逃げる。熱くなった親父。追いかける。木刀を持ったまま。しかし、サンダルの上に、重い肥満体。追い付く訳がない。T字路を曲がると、影も形もない。しばらく、見張っていた。戻ってくるのでは、と。興奮し過ぎ。ご近所が、誰もいなかったから、良いが。お恥ずかしい。あと、名誉の為に言いますが、その頃の肥満体は、数回のダイエットの繰り返しの果てに、一応今は、10kg以上の減量。肥満体とは、言えません。
高校生くらいの若者だったように思う。そして、庭に戻ると、フライドチキンを挟んだロールパンを、発見した。これも、警察に届けて出るとか、自治会に相談すべきことだった。アラフォーの考えの浅い親父には、次に来たら叩きのめすくらいの危ない考えしか、浮かばなかった。度々、お恥ずかしい。追っかけている間に、しろが食べなくて良かった。妻には話したが、何も考えはなく、きっと毒ロールだと思って、直ぐに処分してしまった。
自分の推理では、思春期の危ない少年が、動物虐待とか、ポルノ写真の投げ込みなどを繰り返していた。それが、うるさい犬が吠えるから、思うようにいかない。ムカついて、その家に、烏の死骸を、投げ込んだ。でも、まだムカつく。あの犬に、毒でも喰らわせるか。農薬をまぶしたチキン入りロール。えっ、まだ生きている。じゃあ、もう一度だったのかな、と思っている。
しかし、そんなことは、それっきりだった。さすがに、危なそうな親父に、木刀持って追いかけられたから、怖かったのだろう。ぼこぼこにされるか、捕まって警察に突き出されるか。今度こそは、と待ち構えていたのに。くれぐれも、お恥ずかしい。
ただ、こんなことが、起こってしまったのも、しろを、ただ伸び伸びさせたいだけの自分の浅はかさが、原因だったな、と思う。本当に、近所迷惑な飼い主だった。何しろ、しろが、生垣から顔を出して、通行人に、うるさく吠えていたりしたのだから。少しは、遠慮すべきだった。やがて、実際に、気になることが、起きてしまって、ランニングケーブルは、終わらせるしか無かった。