当時は、空港内で、空港関連の末端企業の従業員として、勤務していました。まあ、やっぱり☝️死ぬ迄、忘れ難い異様な恐怖体験でしたね。
自分は、空港ビル用地内の営業車用の駐車場のプレハブの簡易な事務所に、いたのですが。コンクリートブロックに乗っただけのプレハブ事務所が、倒壊するのかと、戦慄💦駐車場に飛び出すと、空港アクセスの高速道路の高架の照明灯が、1メートル位の幅で揺れていたこと。まるで、ゴムの柱のようでした😱🙀🙀あれっ、一匹しろい方は、もう地縛霊になってたじゃん👎おばさんのいぬの方は、おばさん同士抱き合ってたらしいけどさ🤣👊😤😾
滑走路は、すぐ閉鎖。一瞬、復旧した記憶もありますが。またすぐ、閉鎖。そのまま終日。鉄道と、高速道路など、すべての交通アクセスもダウン。空港内は、もちろん、空港周辺道路も、大渋滞となり、空港内の道路は、1mmも身動きとれないクルマで、埋め尽くされました。絶え間ない余震の危険を避けて、空港ビル内の利用客は、誘導されて、屋外駐車場に、避難。日暮れとなり、空港ビルに、再収容。当然、1万人以上の人々で、溢れ返りました。空港内は、非常用電源が、生きていましたので、電気は、使えました。おかけざまで、よかったのか、悪かったのか、地震被害、とりわけ、東北地方沿岸に押し寄せた津波の惨劇をテレビを通して、逐一、なすすべもなく、傍観することとなりました。
空港ビル内は、帰宅手段も、宿泊先もない1万人以上の滞留客を抱えて、日を跨いでも、大混乱。もちろん、末端従業員の自分も、残業。一応、日が変わった頃には、自分の仕事は、一段落して、帰途につきました。でも、空港から、自宅方向への幹線道路は、信号も照明もダウンして、真っ暗💦気のせいか、路面が、歪んで、うねっていた記憶があります。
成田空港で地震被災 - YouTube
あの日の出来事は、やはりこころにこびりついて、忘れられません。ユーチューブでも、ずいぶんと、地震の恐怖動画の投稿を、見ました。以下に、そのうちで、比較的身近な地域の衝撃映像を拝借して、投稿させて頂きます。
次の動画は、子どもたちが小学生の時に、家族でよく行った県立公園に隣接する宿泊施設からの撮影ですね。公園は、多彩なプールのある巨大な施設です。津波は、防波林を超えて、ひたすらに押して来ます。少なくとも、2kmは、内陸に押し寄せたと思われます。この、人的被害のなかった地域でも、これ程の大津波が押し寄せていたことは、驚きでした。海水浴の出来る浜辺や、人気のプールに人々の溢れかえる夏場だったら、無事では済まなかったようにも、思われます。
次の動画も、相当な衝撃です。臨海部の幹線道路を走るクルマが、いきなり、横波に襲われています。ただ、あの日、こんなことは、東日本の沿海地域では、あちこちで頻発して、たくさんの犠牲者が出たのかも知れません。
また、この海岸のある自治体は、我が県内の犠牲者が、集中した地域でした。犬吠埼に近く☝️特殊な地形で、津波が、時間とともに、極大化して👎午後5時過ぎに押し寄せた第3波が、最大で、7.6mを記録しました☝️
当地の今朝の最低気温は、空港観測値で、2.9℃☝️寒いですが、昨日よりは、上がりました。ただ、よく晴れて、強い南風。その後の気温の上昇は、更に、顕著。早い時間帯で、15℃を超えて、とにかく暖かくなりました☺️😽😽最高気温は、18.9℃と、完全に、季節が進んだ感じです👍