『桜ば見れたらよかですね』
っと言うなんとも曖昧な余命宣告を受け
奮闘するも、桜を待たずに
2月25日祖父は亡くなりました。
当日の朝9時すぎに緊急時にしか
電話をしてこない姉からの電話。
嫌な予感しかないが急いでとると
『じいちゃん亡くなった』
と泣きながらの連絡
それだけ伝えられ電話は切られ
私は旦那の元に行き泣き崩れる。
悲しい気持ちとなんだか腹が立つ気持ちで
泣きながら旦那をずっと叩いてました。
26日に通夜、27日に葬式だと
母から連絡が来たので急いで用意
佐賀に着き
家に戻ったじいちゃんに会いに行き
程なくしじいちゃんと葬儀場へ。
控え室では、ひ孫が多いので
娘も嫌がる事なく一緒に遊んでました
私は親族席にいたので離れられず
旦那にひ孫達の子守りを任せ
通夜が始まる
礼儀作法にうるさい祖父から
怒られてばかりだったはずなのに
なぜか笑っている顔しか思い出せず
ならば笑って送ってやろうと
絶対泣かないと決めたこの2日間。
私は無事1日目を終了するも
泊まったホテルで娘がなかなか寝ず
3時頃にやっと寝る。
そして次の日の9時半集合には間に合わず
葬式のギリギリに着き
途中コブクロの蕾が流れ涙腺が崩壊寸前
なんとか耐え葬式も終え
『じぃじ、ばぁーいー』
っと娘の声が響き渡る中、祖父は火葬され
火葬が終われば解散だったので
そのまま私達は新幹線へ。
相当な痛みがあったはずなのに
その姿を孫の私達に見せる事もなく
最期は眠るように
祖父は息を引き取ったとの事でした。
2024/2/25
享年89
『じぃじ、バーイ!』