大阪で鍼灸整骨院の門を叩いて早や11年の月日が流れました
最初は何も判らず、とにかく職場のスタッフに迷惑をかけないように、
患者さんに不快な思いをさせないようにと毎日が緊張の連続でした
もちろんその頃は、お給料も安く食べていくのがギリギリで、
携帯電話も持てない時代でした
そんなときに大阪の浪速区で、僕を支えてくれた2名の母的存在の方がいました
一人はお好み焼き屋のお母さん、もう一人は洋食屋のお母さんです
お金がなくてご飯が食べられなくなると、
いつもお店に行ってはご馳走になっていたものです
今があるのも当時支えてくれた方のおかげです
福島区で開業してからは、なかなか忙しくてお店に顔も出せていない状態です
毎年、母の日になると「元気でいてるかな~?」って思い出します
うちのスタッフは親元を離れた男が多いのですが
今日くらいはお母さんに感謝の気持ちを持ってもらえたらと思います
最初は何も判らず、とにかく職場のスタッフに迷惑をかけないように、
患者さんに不快な思いをさせないようにと毎日が緊張の連続でした
もちろんその頃は、お給料も安く食べていくのがギリギリで、
携帯電話も持てない時代でした
そんなときに大阪の浪速区で、僕を支えてくれた2名の母的存在の方がいました
一人はお好み焼き屋のお母さん、もう一人は洋食屋のお母さんです
お金がなくてご飯が食べられなくなると、
いつもお店に行ってはご馳走になっていたものです
今があるのも当時支えてくれた方のおかげです
福島区で開業してからは、なかなか忙しくてお店に顔も出せていない状態です
毎年、母の日になると「元気でいてるかな~?」って思い出します
うちのスタッフは親元を離れた男が多いのですが
今日くらいはお母さんに感謝の気持ちを持ってもらえたらと思います